「子どもなんて大嫌い。あいつらは未熟で思いやりのないケダモノである」と思っていた著者に息子が生まれると、「世に中に子どもほど面白いものはない」と思うようになって底辺託児所(つまり失業率と貧困率が非常に高い地区の保育所)の保育士になり、そこで英国社会の厳しい経済格差を体験し、それをもとに書いた本『子どもたちの階級闘争』が賞を取り、著者の名前が世に広く知られました。
さて、息子は底辺託児所から地元の公立小学校へは行かず、英国ブライトン市(英国でもLGBTが多く住み、「英国のゲイ・キャピタル」と呼ばれている市)のランキングトップの名門カトリック小学校に入学。7年間をのんびりとした環境で平和に過ごしました(最終学年では生徒会長も務めた)。ところがカトリックの中学校に進学せず、殺伐とした英国社会を反映する地元の元底辺中学校(公立)に入学。以後、息子と人種差別や格差を原因とするさまざまな問題について議論したり相談されたりするようになります(その会話がこのエッセイのおもしろいところです)。著者の配偶者(結婚当時はロンドンの金融街シティにある銀行で働いていたがリストラされ、「昔からやりたいと思っていた」トラックの運転手になった)は息子が元底辺校に入学するのに反対。というのも、元底辺校の生徒の9割が白人の英国人で、特に「チャヴ」と呼ばれる白人労働者階級が通う学校はレイシズムがひどくて荒れていると噂され、成長するにつれて東洋人の顔に変わってきた息子がいじめられる可能性が高いと思ったからです(英国では人種の多様性があるのは優秀でリッチな学校で、元底辺校のような学校は「見渡す限り白人英国人だらけ」になっているそうです)。
母子の会話を1つ紹介すると――。元底辺校に入学してしばらくすると、同級生ティムとダニエルが激しく衝突しました。ティムは著書が暮らす地区の住民から「ヤバい」と言われる地区の高層住宅に住む、ガリガリに痩せている小柄な中学生で4人兄弟の末っ子。母はシングルマザーで「すぐ上のお兄ちゃんは学校で万引きを繰り返している」「一番上のお兄ちゃんはドラッグのやり過ぎで死にかけたことがある」家庭に育ち、夏休みはどうしていた?という問いに「ずっとお腹がすいていた」と答える。一方、ダニエルはハンガリー移民の両親を持つ、黒髪と薄茶色の目を持つスラリとした美少年。移民なのになぜか異なる肌の色や貧しい身なりの同級生に差別発言を繰り返す生徒。ある日、ティムのリュックの底が破れて、本やノートなどが飛び出しているのを見たダニエルが「貧乏人」と笑ったので、ティムが「ファッキン・ハンキ―(中欧・東欧出身者への蔑称)と言い返し、取っ組み合いの喧嘩に。そして、ティムの方が厳しい罰を受けた先生の裁定について母子の会話が始まります。
母「(ティムがより厳しい罰を受けえたのは)人種差別的な発言をしたからでしょう」
子「けど、ダニエルもティムに『貧乏人』って言ったんだよ(中略)。友達はみんな、人種差別の方が社会に出たら違法になるから悪いことだって言うんだ」「人種差別は違法だけど、貧乏な人や恵まれない人は差別しても合法なんて、おかしくないかな」
母「いや、法は正しいっていうのがそもそも違うと思うよ。法は世の中をうまく回していくためのものだから(中略)。法からはみ出すと将来的に困るのはティムだから、それで罰を重くしたんじゃないかな」
子「それじゃまるで犬のしつけみたいじゃないか」
この会話の後、母は中学生時代の、自分が当事者になった同じような喧嘩を思い出すのですが、それは省きます(この部分の小見出しは「母ちゃんのデジャヴ」)。
横の多様性(民族、宗教、肌の色など)だけではなく、著者が言う「縦の多様性(=貧富の差)」も含めた様々な価値観が渦巻き、それがしばしば差別やいじめとなって現れる学校社会で、著者の息子が「迷ったり、悩んだりしながら前に進んでいく(成長していく)」というのが、この本の本線なのでしょうが、私には英国社会の底辺社会の多様性と分断の実相(リアル)の方がおもしろく、かつ考えさせられました。
またもや長くなったついで、この本で紹介されている、リアル英国社会のやや微笑ましいエピソードを最後に1つ。著者が保育士として底辺託児所で3、4歳児に読み聞かせていた絵本『タンタンタンゴはパパふたり』はニューヨークのセントラルパーク動物園で恋に落ちた2羽のオスのペンギンの話で、実話に基づいているそうです(この本はどこの保育園にもあり、「英国保育業界のバイブル」と著者は言っています)。この2羽が他の雄雌カップルが卵を温めているのを見て、卵と同じ形をした石を拾ってきて交代で温め始めます。それを見た飼育係が2羽はカップルなんだと気づき、石を放置された卵にすり替え、赤ん坊が誕生するというストーリー。読み聞かせをした著者の経験によれば、子どもたちが大好きなのは、2羽がカップルなのだと飼育係が気づくシーンだそうです。子どもたちは「They must be in love」という言葉が大好きで、そのシーンに近づくと息を潜め、20数名が一斉に「They must be in loooooove!」と叫ぶのだそうです。そして、聞こえてくる子どもたちの会話もおもしろい。
子ども1「タンゴはパパ2人だから、いいな」
著者「なんでパパ2人の方がいいの?」
子ども1「だって、3人でサッカーできるもん」
子ども2「えーっ、ママ2人の方がいいよ」
著者「なんで?」
子ども2「ママのほうがサッカーうまいもん」
子ども3「僕んちはママだけ。でも時々、ママのボーイフレンドが来る」
子ども4「うちはパパ1人とママが2人。一緒に住んでいるママと週末に会うママ」
子ども5「うちのパパはいつもパパなんだけど、仕事に行くときは着替えてママになる」
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