top of page
  • 執筆者の写真直樹 冨田

「トマトとイタリア人」(内田洋子&S・ピエールサンティ 文春新書:2003年)

 前回のブログで、以前によく読んだけれど、まだこのブログで紹介していない作家数名の名を挙げました。その一人、内田洋子さんはイタリア在住のジャーナリスト。約30年前にミラノで通信社を起業して以来、現地からイタリアに関するニュースを送り続けています。彼女の著書の中で一番おもしろかったのは、本を籠いっぱいにしてかついてイタリア全土に旅して売り歩いた行商人――底辺でイタリアの知的土壌を築いた人たちーーの話「モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語」でした。

さて、この本「トマトとイタリア人」。第1章「トマトの歴史」によれば、イタリアに初めてトマトが上陸したのは16世紀半ばで、スペイン人コルテスが新大陸のアステカ王国(現在のメキシコ)を略奪してヨーロッパに持ってきた金銀とともにジャガイモ、トウモロコシ、カカオ、トマトなどの種も持ち込まれました。しかしトマトだけは忌み嫌われて、それから約3世紀の間イタリア人の口に入ることはありませんでした。つまり、イタリア人がトマトを食べるようになってからまだほんの200年程度なのです。忌み嫌われたのは宗教的な理由からです。

 トマトがヨーロッパに持ち込まれた16世紀半ばは、ルターが起こした宗教改革がヨーロッパ北部を中心に広がり、カトリックとルター派のプロテスタントが激しい抗争を繰り広げていました。カトリックはルター派の運動を阻むため、自陣営の異端者と目された者を厳しく取り締まりました。当時、トマトと同じナス科の「マンドラゴラ」と呼ばれる植物(映画「ハリーポッター」に出てきました)は、その根に麻酔性があり有毒で、人々から恐れられていました。さらに催淫効果もあると言われて、この実を口にすると身体の奥からどうにも押さえられない性欲が湧き起こる邪悪な植物とみなされて、人々から敬遠されていました。ヨーロッパにやってきたトマトはマンドラゴラと同じナス科なので、どちらの実も似たような色と形状になります。そのため、トマトも同様に恐ろしく危険な植物に違いないと思われてしまいました。さらに「神も存在しない新大陸の野蛮な異国」から運ばれてきたので、より一層邪悪でおぞましい呪いがかけられていると見なされ、ますます人々の口から遠ざけられてしまいました。当時の聴罪司祭は信者にトマトを食べることを断固として禁じたそうです。

 そのトマトを、どのような理由で食することになったのでしょうか?

一握りの王侯貴族が贅沢を極めていた当時、貧富の格差は非常に激しく、栄養状態の悪い庶民はひどい衛生環境も手伝って、コレラやペストなどの疫病で死ぬ人も少なくありませんでした。そんな状況下で、腹をすかせたナポリ人が生来の食い意地の強さも手伝って、王侯貴族が観葉植物として庭などに植えていた真っ赤なトマトを「毒でもよいから試してみよう」と思ったそうです。当時の品種は酸味が強くて表皮も固く、美味しくなかったそうですが、王侯貴族の庭園の手入れを任されていた庭師がまず種をひそかに手に入れて最初に食べ、慢性的に空腹だった地元の農民がそれに続き、彼らが苦心して繰り返し種を改良して(植物学者も手伝って)ようやく2世紀半後に味わいのある野菜に変身させることに成功したのでした。トマトを栽培しているだけで呪術師や魔術使いと同様に見られて隣人に告げ口され、火あぶりに刑にされることもあったーーにもかかわらず、腹をすかせた庶民はこっそり食べてみたのです。

 では、それまでイタリア人は何を食べていたのでしょうか?それもこの本にちゃんと書いてあります。古代ローマ時代から「食べる」ということは、王侯貴族にとっては「量」だったそうです。宴席などでは、あらゆる種類の肉、魚、野菜、スープなどのご馳走が並べられ、その料理にさまざまな調味料(ゴマ、ニンニク、丁字、月桂冠の実、オレガノ、けしの実、パセリ、ライム、ケッパー、等々)が大量に添えられたそうです。調味料は味を良くするだけではなく、病気の予防にも効くと考えられていたからです。ナポリではすでにパスタを常食していました。どんな風に食べていたかというと、作家のボッカチョ(1313~1375年)が著した本によれば「パルメザンチーズを卸して、茹でたての山のように大量のマカロニやラヴィオリの上にかけている。人々は鶏を入れて煮たスープの中にどんどんパスタを放り込んで、茹で上げてはチーズをかけて食べている」。一般庶民は塩ゆでしたパスタにほんのひとつまみのチーズをかけて食べられれば良い方だったそうです。しかも食べることができるのは週1回、日曜日だけのぜいたく品でした。

 パスタが世界中に広まった理由は、それを乾燥させることができたからですが、乾燥させる機械は14世紀のナポリで発明されました(トマトが上陸する前です)。これによって長期保存できるようになり、商品としてイタリア全土に売りに出され、さらにジェノバの商人らによって貿易品目として扱われました。またこの結果、長期の航海で生パスタを打つ専門の職人を連れていく必要がなくなり、航海のコストも下がったそうです。少し時代が下って19世紀末、たくさんの貧しいイタリア人が仕事を求めてアメリカやヨーロッパ内の工業国に移りました。移民の数は400万人と言われていますが、彼らが移住先でトマトソースのパスタを広げました。世界各地にイタ飯屋があるのは彼らの功績なのです。

 この本は第1章「トマトの歴史」、第2章「絶妙のコンビ、パスタとの出会い」、第3章「21世紀のトマト」に続き、本場イタリアのトマトを使ったレシピが基本から手の込んだ料理まで40近く紹介されています。庶民の味方だったトマトを通じてイタリアの歴史とトマト料理のコツがわかる本です。

閲覧数:13回0件のコメント

最新記事

すべて表示

「井上ひさしから、娘へ」(井上ひさし 井上綾著 文藝春秋:2017)

ここ20年ぐらいの間に限ってよく読んだけれど、このブログで紹介していない著作家はまだかなりいます。例えば、女性では須賀敦子、米原万里、内田洋子、藤本和子。男性では堀田喜衛、池澤夏樹、加藤周一、立花隆。ここに紹介する井上ひさしもその一人。彼は本を書く際、「むずかしいことを簡単...

「朽ちるマンション 老いる住民」(朝日新聞取材班 朝日新書:2023年)

今、住んでいる葛飾区のマンションに引っ越してきたのが2011年3月。東日本大震災の直後でした。1981年に建ったのでその時築30年でしたが、不動産屋の担当者によれば、玄関の天井部分が少し破損した程度で大した被害はないとのことでした。部屋は2LDKで、ガスコンロにガス台が4つ...

「教えて!タリバンのこと」(内藤正典著 ミシマ社:2022年)

このブログのいくつかの記事で、NGO職員としてタイやラオスで経験したことをほんの少し書きました。このNGOは東南アジアの経済的に貧しい子どもを支援する団体ですが、実はその前にボランティアとして4~5年、職員として1年ぐらいの短い期間、パレスティナを支援する別のNGOに関わっ...

Comments


bottom of page