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「パリ左岸のピアノ工房」(T.E.カーハート 村松潔 訳:2001年:新潮社)

執筆者の写真: 直樹 冨田直樹 冨田

更新日:2月28日

 長く本棚に積んであった本(多分15年ぐらい)。ふと手に取って表紙をめくったら、右側にこの本のレヴューが載っていました。「パリに住み着いた『わたし』は、子供の学校の送り迎えごとに、毎日『デフォルジュ・ピアノ店』の前を通りかかる。なんのへんてつもない店。だが、もう一度ピアノに触れたいと思っていた『わたし』は、ある日その店の扉をノックする・・・。思いもかけないパリの職人の世界を、愛情溢れる筆致で描いた、切なく心温まるノンフィクション」。また裏表紙には以前、このブログで紹介したピアニスト兼音楽評論家の青柳いずみこさんの評も載っていました。「ショパンの好んだ銘器プレイエルは、羽のように軽く、蜂蜜のように甘い音がする。鐘に似た響きを持つベートーヴェン時代のピアノから、4本もペダルがついているイタリアの最新式まで、出てくるピアノというピアノをみんな弾きたくなってしまった・・・」。そして本の帯に、この本の主題と変奏が書かれています。「自分のピアノをどう探す?」「パリの奇妙な職人たち」「絶対音感とは?」「パリで地元にとけ込むために」「調律の繊細さ」「ピアノに秘められた歴史」「どうして発表会をやるのか」「世界最高のピアノとは」「世界に銘器は多い」。これらの言葉につられて読み始めてみると、確かに温かくて深~い世界に潜り込んでいき、ピアノの世界に心がからめとられていくようでした。この本を短い紙幅で紹介できる自信はまったくないので、せめて工房のアトリエの雰囲気と人間関係を扱った章を中心に簡潔に紹介してみます。

 第1章「リュック」で、主人公の『わたし』がはじめて工房のアトリエに足を踏み入れて、ピアノ職人リュックと話しながら歩いた工房の内部をこんな風に描写しています。

「アトリエに入ると、目の前には40台、いや50台もの、ありとあらゆるメーカーとモデルの、解体のさまざまな段階にあるピアノがならんでいた。・・・アトリエの反対側にはアップライトのピアノがひとまとめにされ、広大な屋根裏部屋に20棹以上もタンスを詰め込んだかのように、ぎっしり隙間なくならんでいた。すぐそばの整理された作業台の上には、何台分かの楽器の部品――取り外された鍵盤やハンマーやペダルの駆動機構がのっていた。・・・部屋の端のぐるりにはピアノから取り外された大小さまざまな部品が置いてあった。・・・こういう乱雑な部屋の中央に、私からは一部しか見えなかったが、森のなかの秘密の空き地みたいな場所があり、3台のピアノがほぼ円形にならべられていた。完全に組み立てられ、磨き上げられ、すぐ弾けるように鍵盤のふたがあけられ、椅子が引き寄せられている」「スタンウェイが数台、プレイエルがかなりの台数、そのほか聞いたことがないメーカーのピアノがたくさんあって、堂々たるベヒシュタインのコンサート・グランドさえあった」。歩きながら、キリル文字で書かれたメーカーのピアノに目が留まりました。「ロシア製かな?」「もっと悪い。ウクライナ製だ」とリュック。「彼らはいわば技術の半分をドイツ人から学んで、残りは即興で間に合わせてしまった」。そして2人は迷路の真ん中の小さな空間においてあるスタンウェイの前に行き、リュックが腰を下ろしてバッハの3声のインヴェンションを奏でます。「これは20年代のハンブルグ製だが、実にすばらしい楽器だ。ある指揮者の持ち物で、彼がパリに来るとき持ってきたんだ」。側板の曲線をそっと撫でながら「私が完全に再生したんだが、こうなるともちろん誰にも引き渡したくない」。(中略)リュックの説明を聴きながら、このアトリエの魅力を筆者はこんなふうに書いています。「楽器屋のショールームで50台の新品のピアノ――それがどんなにすばらしい高価なものだとしても――に囲まれているより、こういう魔術的な仕事が行われているアトリエにいる方がずっとわくわくする。このアトリエにいると、この100年ちかくのあいだにヨーロッパ大陸を移動した人々の栄枯盛衰を、パリを出発点、到達点、あるいは中継地点として、愛するピアノという厄介な荷物をひきずって移動していった人々の流れを目のあたりにしているようだった」。

 さて、リュックと親しくなった「わたし」は気楽にアトリエに出入りし、さらに他のなじみ客らが金曜の夜などに集まってワイングラス片手に行われる井戸端会議の端っこに参加するようになりました。議論好きのフランス人がどのように議論を楽しむのか、そして人間関係をどう築いていくのかがわかります。例えば、ある晩の議論はこんな風です。なじみの客の1人はピアノの社会的側面の研究者で、19世紀におけるピアノの大衆化について自説を主張します。「1880年代には、敬虔なカトリック家庭では、食事の前に讃美歌を歌うとき、ピアノがよく伴奏に使われていた。20世紀に入るとともに、宗教的な用途より世俗的な目的で使われることが多くなったが、そういう変化が可能になったのは、フリー・メーソンの運動が広がって、フランスの社会が教会のくびきから解き放たれたからだ・・・夕食の前の讃美歌が軽い音楽に席をゆずり、軽音楽は新しく生まれたミュージックホールで人気を博すことになった」。フランス人にとって「フリー・メーソン」という言葉は議論に火をつける火薬のようなもの(だそう)で、この言葉を皮切りにフリー・メーソンの政治情勢全体への影響からフリー・メーソンは善か悪かまで、様々な意見が出されました。日ごろあまり口数の多くないリュックも議論に参加します。

リュック「宗教は少なくとも希望を与えてくれる。たとえ幻想に基づくものだとしても、それは確かだと思う。しかし、地上の天国を約束する連中は、共産主義者だろうとフリー・メーソンだろうと、最悪の中でも最悪だ」

研究者「フランスでは、フリー・メーソンは地上の天国を約束しているわけじゃない!彼らが約束しているのはわが共和国が最高だということだ」

リュック「ああ、そうさ。まさに神聖なる共和国だ。もちろん、後ろから糸を引っ張っている連中がいるんだがね。こんなものは君主制に逆戻りしたようなものだ。ただそれを民主主義の衣装で飾り立てているだけなのさ」

こうした議論を聴きながら、『わたし』はこんな感想を持ちます。「それぞれの意見に強い感情が込められていたが、本気で相手を言い負かそうとしているわけではなかった。フランス人にとってある種の語句には強い感情が込められている。そういう問題が持ち出されると、その場にいて自分の意見を言わずに済ますことは考えられないが、かといって、自説を無理やり他人に押し付けることはしないのが常識だ。つまり、いかに直接他人を攻撃せずに反対意見を言うかが重要なのだ。鍋は沸騰することなしに、ぶつぶつ騒がしく泡立つことになる」

 もう1つ、音楽を通じて気軽に仲間ができる描写があります。『わたし』が事務所で仕事をしていると、隣人たちが楽器の練習をする音が聞こえてきます。ジャズ・ギター奏者は午前中。中庭の向かい側のアパートからは、夕方になると非常に上手なフルート奏者が音階練習する音が聞こえてくる。中庭の右側の建物からは午前中、ハープ奏者の音。バロックから現代の曲まで本格的な演奏で、「わたし」はワクワクしながら聞いています。そうした早春のある日、中庭のどこかから歌とそれを伴奏するピアノの音が聞こえてきました。ピアニストが伴奏しながら歌のレッスンをしていたのでした。音程を外した女性の生徒に鍵盤をたたいて正しい音を教えてからピアノの先生が歌い出した。『わたし』は「そうか、ピアニストは男性だったのか」と思い、自己紹介しようと彼の部屋に行き、ドアをたたきました。すると若い女性が出てきたので「ピアニストにお会いしたいのですが」とためらいがちに言うと、女性の背後で大きなアップライトのピアノに向かっている男があきらめと落胆の入り混じった顔で『わたし』を見て「窓を閉めます」とぶっきらぼうに言いました。『わたし』はすぐさまこう言いました。「いや、それはやめてください。そうしたら、あなたのすばらしい演奏が聞けなくなってしまいますから」。するとピアニストは一瞬ためらいがあり、『わたし』が本気で言っていることがわかると、自分と妻を紹介しながら「ほめていただくためなら、いつでもノックを歓迎しますよ。たいていは、うちのドアに現れるのは、それとは正反対の反応ですから」。そのピアニストはプロの伴奏者でした。その日の練習はもう終わりで、ピアニストは『わたし』にワインのグラスを勧め、それから伴奏のコツや絶対音階、近所のミュージシャンの噂話などに議論の花がさきました。その会話がとても知的なレベルでしたが残念ながら省略します。

 もう紙幅は尽きていますが、最後にもう1つだけ。『わたし』が妻の実家があるイタリアを訪ねるついでにピアノメーカー「ファツィオーリ」の本社工場を訪ねる章です。ある町を車で走っているとピアノ販売店のショーウィンドウに飾られたピアノに目が留まりました。車を停めてよく見ると、今まで聞いたことがない「ファツィオーリ」という名前が書かれていました(この章の冒頭、妻は冗談で「この車はピアノを見ると停まります」と書いたステッカーを車に貼るわよ」と『わたし』を脅します)。後日、リュックにその名前について尋ねると、どうしてそんなバカなことを聞くんだと言いたげな顔をして「もちろん世界最高のピアノの1つさ。完璧にすばらしい楽器だよ」「まだ20年にもなっていないが、ある男がゼロから世界最高のピアノを作ろうと考えて作り出したものだ。基本的に手作りで生産台数は非常に限られている」と解説してくれました。これまで最高のピアノはいつもドイツかフランスかアメリカ製でした。それをイタリア人が、しかもたった一代で世界最高レベルのピアノを生産するなんて・・・。『わたし』はその秘密を探ろうと思い立ち、同社を訪問する予約の電話をすると、電話に出たのが社長のファツィオーリ氏でした。訪問当日、同社の近くまで来たのですが道に迷ってしまったので、電話で迎えに来てくれるように依頼すると、車で迎えに来たのもファツィオーリ氏でした。こうして『わたし』はファツィオーリ氏が会社を興したきっかけや良いピアノの条件、それをゼロから生産することの難しさなどについてファツィオーリ氏に尋ねていきます・・・。もう紙幅はとっくに尽きたので、ここで筆を置きます。この本を読み終えて、著書やリュックやその仲間たちと別れるのを寂しく感じました。いつかまた再読したいと思います。


 
 
 

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