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執筆者の写真直樹 冨田

「ベン・シャーンを追いかけて」  (永田浩三著 大月書店 : 2014年)

更新日:2023年10月30日

 「ベン・シャーン大好き」という友人が2人います。2人とも今、70代後半の方(女性)です。それもそのはず、ベン・シャーンは1898年に生まれ1969年に亡くなっていますから、もう半世紀前の画家です。若い人はきっと名前すら聞いたことがないでしょう。しかし、ベン・シャーンには日本との接点が少なくとも2つあります。一つ目は、1954年に太平洋でアメリカの水爆実験の放射能「死の灰」を浴びた「第5福竜丸事件」を画家人生の中心課題の1つにしたことです。2つ目は、出身地のコブノは当時ロシア帝国内でしたが、現在はリトアニア第2の都市カナウス(同市は15世紀に北ドイツのハンザ同盟の代表部が置かれた都市で、立派な都会だったそうです)で、ここには第二次世界大戦中、日本領事館があり、外交官だった杉原千畝がユダヤ人にビザを発給したところです(現在、杉原記念館があります)。ベン・シャーンの両親もユダヤ人で、お父さんは木彫り職人、お母さんは陶芸職人(ユダヤ人は世界のどこでも生活できるように、手に職をつけたと言われます)。シャーン一家は早くも1906年にアメリカに移住しました。「この頃、リトアニアではユダヤ人と社会主義者への弾圧が激しさを増していた。シャーン一家はユダヤ人と社会主義者の両方の属性をそなえていたため、もはや祖国で生きていくことは難しいと判断したようだ」と本書に記されています。ちなみに、カナウス郊外にユダヤ人強制収容所があり、3万人のユダヤ人が殺されたといいます。移り住んだニューヨークの中学を卒業すると、「長男は働くものだ」という母に反対されて高校進学をあきらめ、石版画工房の丁稚になりました。そして18歳で石版画職人として独り立ちしました。

 私は上記2人の友人の影響でベン・シャーンの名前と多少の作品を知ってはいましたが、詳しくは知りませんでした。「第五福竜丸」の絵を描いたという他に、強い線を描く画家で平和運動家でもあり、米国60年代の「赤狩り」の対象になった人といった程度の知識でした。

 著者の永田浩三さんはNHKのプロデューサーだった人で、「クローズアップ現代」や「NHKスペシャル」などを手がけました。「ETV2001」で「戦争をどう裁くか」の統括プロデューサーを担当して、いわゆる「NHK番組改変問題」では東京高裁で原告側の証言者として出廷。それ以後、NHKの制作現場から離れたそうです。永田プロデューサーは、この本のタイトル通り、まるでテレビ番組の制作をするかのような心意気で、ベン・シャーンゆかりの地を追いかけました。故郷リトアニアはもちろん、絵画の勉強と模索を続けたイタリアやフランス、イギリス(アウシュビッツも)などを取材し、その地にゆかりのある様々な画家や過去の事件及びその背景についても触れています(例えば、アッシジの町と画家ジオットとベン・シャーンの関係、ゾラとドレフュス事件)、さらに移住先のアメリカ各地も飛び回ってベン・シャーンに関係のある人々にインタビューをしながら、様々な事件や人との出会いに触れています(メキシコの壁画家リベラとの共同制作、サッコとヴァンゼッティ事件など)。現在だけではなく、過去にインタビューした人の回想も記しています(例えば、ヴェネツィアでの加藤周一氏とのインタビュー)。ベン・シャーンの息子にも会ってインタビューしました。ベン・シャーンの著書からの引用や作品の掲載も豊富で、著者が訪れた場所や人物の写真もページの下蘭に数ページおきに載っています。本を読みながらテレビ番組を見ているような、いや、永田プロデューサーと一緒になってベン・シャーンを追いかけているような気にさせられます。

 この本から2つ引用してみます。1つ目は、ベン・シャーンがサッコとヴァンゼッティ事件を描くことになったきっかけについて自ら語った部分です。

「自分の作品のアイディアは、人生のある出来事がきっかけで生まれました。最初にパリに渡ってから4年がたとうとしていました。フランスの流派の影響を大いに受けていたのです。デュフィ、セザンヌ、ピカソなどにどっぷりつかっていました。ある日、ふと疑問に思ったのです。私は何者なのか。どのような背景があるのか。私は何を面白いと思うのか。ずっと考えた結果、芸術の表現方法ではよくないとされてきたストーリーテリング(物語)に興味があることを認めざるを得ませんでした。

 人に馬鹿にされるかもしれないけれど、それこそが自分なのだと気が付いたのです。人物の行動を描くのに、私は、私のできる限りの単純性をもって描く方針をとりました。私のこころを片時も離さなかったのは、あのジオットが連続的な情景を描いた時の単純性なのですが、ジオットにとっては、全体が複雑で宗教的な物語になっているのです。(中略)仕上がったとき、展覧会のディーラーに見せました。案の定、反応は、これはアートではない、ストーリーテリングだ、プロパガンダだと言われました。私がつけたタイトル(「サッコとヴァンゼッティ事件の受難))にも断固反対されました。しかし当時、だれの賛同を得られなかったとしても、自分では相当自信を持っていました。タイトルがなかったらなんの意味もなさない。みとめられないと反論しました。ところが、新聞は、記事として取り上げてくれ、展覧会はこれまでにない反応がありました。味方はまだ一握りでしたが、これこそ私の絵の描き方だと思いました」

この壁画は現在、ニューヨーク州にある名門シラキューズ大学のキャンパスにあり、その前を通る学生に差別とは何かを訴えています。

 2つ目はやはりカナウスで生まれ、ユダヤ人差別や虐殺を経験した哲学者レヴィナスとベン・シャーンとの共通点を指摘する、大阪大学の精神病理学者、村上靖彦准教授(当時)の話です。レヴィナスはベン・シャーン一家が同地を後にした後に生まれました。「人類はユダヤ人虐殺という災禍を体験したことで、これまで以上に重い責任を背負うようになったと考えた。他者とは何か。人間を破壊する暴力とはなにか。その中で私たちは、どう生きればいいのかを問い続けた」哲学者です。

「高校の図書館に、赤く大きなベン・シャーン画集があり、ひきつけられました。当時わたしは大江健三郎の小説にはまっていました。『洪水はわが魂に及び』は『ラッキードラゴンシリーズ』(第五福竜丸のシリーズ)と通じます。シャーンの絵を見ていると、人間っていいものだという思いが整理されていったのです。時代遅れといわれるかもしれないけれど、ノンヒューマンではなく、ヒューマン。人間っていいものだと思いました。抽象ではなくて、具象で勝負するところがすごいですね」

この村上准教授の話のページの下に、20世紀初めころのビリニュスのユダヤ人居留地域の写真が掲載されています。こんな体裁も臨場感を与え、想像力を刺激します。

 この本の「おわりに」で著者はこんな感想を記しています。この稿の最後に、ちょっと長いのですが、引用します。

「1998年に講談社から出版された『人物20世紀』という本がある。筑紫哲也さんや澤地久枝さんたちが編集委員となった大著だ。その表紙には、たくさんの人の自筆のサインが並んでいる。真ん中にどかんとあるのが、パブロ・ピカソ。もっとも大きいサインだ。その下に、クロード・モネ、グスタフ・クリムト。その間に漢字で、柳田国男がある。

 二番目に大きいのは、ヘレン・ケラー。世界のどこでよりも日本で愛されたヘレン・ケラーらしい。そして左肩に見慣れたサインがあった。ベン・シャーンである。

 同じく講談社から、『現代美術』シリーズが出ている。その第1巻が「ベン・シャーン」である。バルテュス、ワイエス、デ・クーニング、ボロック、ウォーホールを押しけて、堂々のトップである。

 今回のこの本は、この『現代美術』の画集を手にしながら歩き、その中でのさまざまな人びととの出会いを綴ったものである。

 1898年生まれ1969年に亡くなったシャーンは、20世紀を疾走する人生を送った人だ。絵画だけでなく、壁画、写真、レコードジャケット、ポスター、舞台美術で大きな業績を残した。シャーンが生きた時代は、新聞、カメラ、野球、映画、自動車、週刊誌、テレビが普及して大衆文化が花開いた。

 ヒトラー率いるナチスドイツがユダヤ人を虐殺し、核兵器が実戦で使われるなど、たくさんの人が苦しんだ。核兵器開発競争の過程では、マッカーシズムという集団ヒステリー状態を生んだ。

 その一方で、公民権運動や、ヴェトナム反戦運動、民主化運動といったうねりのなかで、人々が希望を見出すこともあった。シャーンは、そうした20世紀の出来事を絵筆やカメラでかたちに残し、貴重な証人の役割を果たした。様々な社会問題も描いた。そうした作品はわたしたちに悲劇だけはない、人間っていいもんだという、小さなろうそくの灯りのような印象を与えてくれる」


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