若い頃は4~5分の曲なら1か月も練習すれば暗譜できたのですが、年を取るにつれてそれは不可能になりました。演奏会では用意した譜面台に楽譜を置いて演奏しないと不安になることしきりです。しかし、超の字がつく一流のプロは、70歳になっても80歳になっても暗譜で20分も30分もある大曲を1回の演奏会でいくつも演奏します。秘訣はあるのでしょうか?
ピアニスト兼文筆家の青柳さんは、素晴らしい演奏を聴いた際の感動(のもやもや)をプロのピアニストならではの耳と目、それにプロの文筆家としての切れ味鋭い言葉と卓抜な表現力の二刀流で解剖し、明快にその理由を提示してくれます。これまで5~6冊読みましたが、期待を裏切られたことはありません。書店でこの本を手に取って序文を読んだとき、青柳さんならその秘訣をみごとに提示してくれるのではと心がワクワクしました。序文の一部を引用します。
「リストは初めて暗譜でリサイタルを開いたピアニストとして知られているが、この大ヴィルトゥオーゾも、実は36歳で演奏活動を引退しているのだ。ちょうどスポーツ選手が引退する年齢である。その時期を過ぎても演奏活動をつづけたクララ・ヴィ―グ(シューマン夫人:冨田注)は、40代の終わりごろから暗譜に不安を感じるようになり、ブラームスに不安を訴える手紙を書いている。しかし現在では還暦を過ぎたピアニストは少しも珍しくない。(中略)還暦などはまだ序の口だ。100歳でまだ現役を張っている室井摩耶子。90歳を越えて音楽的にも技術的にも、もちろん精神性の面でもさらにすばらしい演奏を展開している井上二葉。78歳のときにショパンの『24の練習曲』と『24の前奏曲』という超弩級のプログラムでリサイタルを開いた柳川守。
(中略)亡き吉田秀和氏がホロヴィッツを『ひびのはいった骨董品』と評したのは有名な話だが、ひびが入るどころかバリバリの新品の完成度に『骨董品』の味わいを加えた弾き手がたくさんいることに驚かされる。なぜ彼らは、体力・記憶力の衰えにもめげず、演奏活動を継続させることができたのか。内外の長寿ピアニスト40人を紹介しつつ、息の長い活動の秘訣をさぐってみよう」
序文の次が目次。バリバリ新品の完成度に「骨董品」の味わいを加えた“ヴィンテージ・ピアニスト”40人の名前がずらりと並んでいます。その中の何人かをピックアップすると(カッコの数字は生まれた年)――イェルク・デームス(1928)、高橋悠治(1938)、深沢亮子(1938)、館野泉(1936)、マリア・ジョアン・ピリス(1944)、ルドルフ・ブッフビンダー(1946)、ダニエル・バレンボイム(1942)、マルタ・アルゲリッチ(1941)、ラドゥ・ルプー(1945)・・・・・。
この本は「そんなヴィンテージ・ピアニストたちに注目して取材した文章をまとめたものである。来日しないので、録音だけで書いたピアニストもいるが、基本的には実演に接してその印象を書き留める。東京だけではなく、地方都市に出かけたり、海外にいる時に聴いたりしたピアニストもいる」。実演に接して、さらに取材をして「秘訣」に迫ったのだろうと想像してページをめくっていったのですが、ピアニスト相手に直接「秘訣」を尋ねたのは、一番最初に登場したアリス・アデール(1945年生まれ、フランス)だけのようです。来日したことがない彼女に青柳さんはメールでいくつかインタビューをしましたが、その中でこんな質問をしています。
――テクニックを保つためにどんな努力をなさっていますか?
「私は常にもっとも少ない力でもっとも大きなエネルギーを生み出すことを考えています。楽器に向かう練習とともに身体的なトレーニングもおこなっています。オートマッサージ、さまざまな瞑想に毎日少なくとも2、3時間はかけています」
――これだけの巨大なレパートリーを演奏なさることに驚いています。年齢からくる困難を感じることはないのですか。
「ピアニスティックな意味では、現在もっとも調子がよいと感じます。唯一低下したものは記憶力ですね。暗譜するのに時間がかかるようになりました」(やっぱり)
あとはステージでの実演に接することでその秘訣を探っています。例えば、米国のルース・スレンチェンスカ。ユダヤ系ポーランド人で1925年生まれの97歳。彼女は「極めつけの神童で、4歳でリサイタルを開き、5歳でカーティス音楽院に入学。6歳でベルリンデビュー。9歳でラフマニノフの代役をつとめ、ニューヨークタイムズ紙で『モーツアルト以来もっとも輝かしい神童』と称賛された」。師事した先生は「ラフマニノフ、ホフマン、コルトー、シュナーベル、べトリ、バックハウス」!!
さて、ルースの実演に接して「モーツアルトのソナタでの練り上げたタッチと緻密なレガート、話し言葉のようなフレージング」に感銘を受けた青柳さんは、彼女の演奏する姿勢に注目する。小柄で手が小さいルースの演奏スタイルは「やや低い椅子に座り、背中をそらして弾く」。この特異な姿勢は「背中の筋肉を効果的に使っている」「硬直しているように見えるのに実際は脱力している」「背筋で支えることによって各関節が脱力し、下げた肘から高くとった手首、伸ばした指先まで無理なく力が伝わる」のだそうだ。ルースの息の長い活動はこの姿勢にある、と青柳さんの目が分析しているように思えます。
長寿ピアニスト40人を読み通したのですが、残念ながら「秘訣」は明確にはわかりませんでした。1つには、秘訣の探求より実演に接しての演奏の評論が中心になっていたからです。しかし、それが青柳さんの真骨頂。その評論が実に面白かった。また一人につき顔写真が1枚掲載されていますが、その顔が男女ともにとてもチャーミングで、これまでの長いキャリアと現在のピアノに向かう姿勢を物語っていました。
最後にもう1つ。幼少期からすんなりピアニストの道を上り詰めた人ばかりではない、というのももう1つの発見でした。例えば、上述のルースは「ヴァイオリニストだった父親のスパルタ教育に反発を感じ、14歳で演奏活動を引退」「復帰後、絶頂期の38歳で胃潰瘍になり、医者に『1年間休むか、死か』と宣告され、商業活動から引退」。それ以後、大学で教鞭をとり、若いピアニストを育てたそうです(その後、再度のカムバック)。1955年、東洋人として初めてショパン・コンクール(3位)に入賞した中国出身のフー・ツオンは、師匠から手を動かさずに指を鍛えるため、1枚の銅板を手の甲に置き、落とさないで弾く「ハイフィンガー奏法」で練習させられたためか後年、手の故障に悩まされました。晩年は痛めた手首を保護するため、指先だけ穴のあいた手袋をはめて演奏。さらに演奏が「表現しようとすることに追いつかないため、無意識に首を振ることになり」、これが頸椎を痛め、2015年にやむなく引退しました。ピアニストの手の故障は、舘野泉然り、フジ子ヘミング然り。
見上げるような険しい山あり、足がすくむ深い谷あり、そのジグザグの長いキャリを歩み続けて来れたのは、何歳になっても追求し続けるほどの魅力が音楽にあるから、というのがこの本から改めて得た回答です。レベルは違えど、70歳はもちろん80歳を過ぎても音楽に対して探求心――という言葉が大げさなら好奇心を失わないこと。それが私なりの答えでした。
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