NGO職員としてしばしばタイ・ラオス・カンボジアに出張していた2001~2010年頃(ラオス・カンボジアに行くのにもバンコク経由でした)、時々足を運んでいだバンコクの高級ショッピングセンターの4階か5階の家電製品売り場は、私の記憶ではエスカレーターの左側がサムソン、右側がソニーの携帯電話やパソコン等に特化した売り場でした。毎回、エスカレーターに乗ったまま左右を見比べると、いつもソニー側のお客さんがほとんど皆無で両社の勝敗は明らかでした。NGOタイ事務所のタイ人スタッフにその理由を尋ねると「サムソンの方が安い。それでいて壊れないしね。だから少し性能が劣ってもサムソンで十分」との答えでした。当時、技術では明らかにソニー(に代表される日本の電機産業)の方が優れているのに、なぜ韓国や台湾の企業に追い抜かれてしまったのだろう?その原因は何だろう?日本の企業はこうした事態にどのように対処しているのだろう?両社の売り場の光景を目にするたびに、こんな質問が頭に浮かんできました。それから10年以上経ち、この光景も疑問も忘れていたのですが、先日、本屋で「日本の電機産業はなぜ凋落したのかーー体験的考察から見えた5つの大罪」という本書のタイトルを見て、一瞬にしてエレベーターから見た光景と疑問が頭に浮かび、思わず購入して一気に読破しました。
筆者の桂幹氏は「はじめに」と第1章で、日本企業の凋落ぶりをデータで示しています。「平成元年には、世界のトップ50社のうち日本企業が32社を占めていたが、平成の終わりには1社しか残っていなかった」「アナログデータのデジタル変換が本格的に始まったのは80年代だ・・・この大きな変革を担ったのも、主に日本企業だった。音楽をデジタル化したCDやMD、映像をデジタル化したデジタルカメラやDVD、どれも日本企業が実用化させた技術だ。完成品だけではない。デジタル技術のカギとなる半導体メモリーDRAMも、90年代半ばまでは日本企業が世界をリードしていた・・・1986年には日本企業のシェアは世界で80%を占めるほどになった・・・80年代から90年代にかけて、第1段階のデジタル化を主導した日本企業の強さは世界を圧倒していた」。しかし、それが2000年に入って弱体化していきました。
1986年にTDKに入社し、勤務した日本と米国の最前線で日本の電機産業の凋落を目の当たりにしてきた桂氏は、父親がシャープの元副社長だったこともあり、本書では最前線で勤務した企業戦士(著者)と経営者(父親)の2つの視点で、凋落の原因を解き明かしています。親子の実体験からあぶり出された原因は以下の「5つの大罪」に収れんされます。①誤認の罪 ②慢心の罪 ③困窮の罪 ④半端の罪 ⑤欠落の罪。
ここでは、本書の内容をかいつまんで① 誤認の罪を中心に紹介します。
1980年代に入って、レコードやカセットテープに記録された音楽をCDに変換する第1のデジタル化が起こりました。CDのメリットは何でしょうか?カセットテープは60分の音楽を録音するのに60分必要でしたが、CDでは録音時間を大幅に削減できました。また聴きたい音楽を瞬時に選んで聴くことができました。価格も大幅にダウン。メーカー側はどうだったかというと、カセットテープは巨大な設備が必要でした。製造工程のすべてを直線に並べれば数百メートルに及ぶといいます。一方、CD-Rの生産設備は小型トラック1台分ほどの大きさでよいそうで、生産設備の簡易化がコストダウンに直結しました。74分のカセットの店頭価格はどんなに安くても200円でしたが、同じ時間を記録するCDは20円。ユーザーにとって劇的に買いやすくなりました。カメラの世界でも同じです。デジタルカメラになってフィルムが必要なくなり、撮影枚数の制限はなくなりました。現像する必要はなくなり、発売当初こそ画像の質がフィルムに劣っていましたが、あっという間に品質が向上しました。著者はこのような音楽や写真のデジタル化の特長を以下の3つに分類しています。
① 時間が短縮できるようになった
② 高価で手が出なかったものが気軽に買えるようになった
③ 人手がかかったことが簡単にできるようになった
つまり、「『画期的な簡易化』がデジタル化のもたらした功績であり、その本質だった」と指摘します。そして、この「画期的な簡易化」を見抜いていた代表的人物がアップルのスティーブ・ジョブズ氏で、コンピュータを誰もが使えるようにデスクトップとマウスというコンセプトで初代のマッキントッシュを生み出しました。一方、「画期的な簡易化」という潮流の本質を見誤ったのが日本の電機メーカーだったと言います。
もう一度カセットテープに話を戻せば、アナログ時代、TDKはカセットテープ生産でソニー・マクセルとともに御三家と言われ、この3社で世界のカセットテープ生産の8割以上を占めていました。しかし、CD-Rが登場すると5年で勝負がつき、台湾産業が全世界の7割を超える生産シェアを獲得しました。カセットテープは磁気テープの材料である磁気粉の特性の違いからノーマル、ハイポジション、メタルというグレードがあり(同様に、ビデオテープにもスタンダード、ハイグレード、ハイファイの3グレードがありました)、ユーザーはその性質の違いを認識していました。しかしCDは性能による差別化ができません。だから「デジタルなんだから、どのメーカーの製品も同じ」と認識するようになりました。結果、価格のみの泥沼競争に陥り、台湾企業に圧倒的な差をつけられてしまいました。
当時、アメリカのTDK支社に勤務していた著者は、ある営業会議で「(TDKも)自社生産にこだわらず、台湾メーカーから安いCD-Rを調達して自社ブランドで販売すべきだ」という意見が出たそうです。台湾製品を仕入れて自社ブランドで販売する米国のローカルメーカーのCD-Rの価格攻勢に歯が立たなかったからです。しかし、品質検査の結果では、台湾製のCD-Rは明らかにTDK製品より劣っていたそうです。台湾企業から仕入れて自社ブランドで販売してもし品質問題が生じたら、これまで築いてきた自社のブランドイメージに傷がつく。だから、台湾製品の仕入れに慎重でした。しかし、圧倒的な価格差ゆえ結局、1年後に台湾製品を輸入せざるを得ませんでした。それで品質問題はどうなったか?ユーザーが使用する局面では問題が発生するほどの差は生じなかったそうです。著者はこう結論付けます。「TDKは追加的なコストをかけて、ユーザーが必要とする以上の品質を提供していことになる」。だから競争に負けた、と。
音響機器にも同じことが起こったと著者は言います。携帯音楽プレーヤー(例えば「Walkman」)やラジカセで圧倒的な力を誇っていた日本企業はデジタル化とともに迷走を始め、やがて凋落を余儀なくされました。アップルがソフトとハードを組み合わせたipodを世に送り、手軽に音楽を楽しむ手段を提供した一方で、日本の音響メーカーがとった市場戦略はこれまでの製品の単なる多機能化でした。CDやMDのみならず、USB端末やSDカードスロットを搭載したモデルや小さなスクリーンにフォトアルバムを映し出すミニコンポなどが現れ、他社製品と差別化(=高付加価値化)を図りました。しかし、こうした多機能化はユーザーが求める「画期的な簡易化」からは全く外れていました。「デジタル化が進む中で、自社の強みだけに拘泥し、ユーザーの本質的なニーズに目をつぶったことが日本の電機産業界が凋落した原因の1つであり、まさしく誤認の罪なのだ」と結論付けています。GAFAのようなプラットフォーマーがインターネットを活用して独自のサービスを提供する第2のデジタル化もすでに成熟期を迎えていますが、この段階(現在)でも日本の電器産業は後塵を拝したままです。その証拠としてデータに関する、次のような日経新聞の記事を紹介しています。データーは21世紀の最重要資源と言われていますが、国をまたいでやりとりされる「越境データ量」について、2001年に日本は主要11か国で5位でしたが、2019年には最下位に落ちました(ちなみに1位は中国・香港、2位はアメリカ、3位はイギリス、4位はインドです)。
②の「慢心の罪」で著者は自戒を込めてこう述べています。「アナログ時代に韓国企業がカセットテープやVHSテープに参入してきたが、日本企業の優位性はまったく揺るがなかった。自分たちの競合は日本企業だけであり、今さら韓国や台湾の企業が進出してきても我々に敵うはずがない、としか思えなかった」、つまり先行する企業の成功体験が驕りを募らせ、新興勢力を正しく評価できなかったわけです。
④の「困窮の罪」では、著者が父親に興味深い質問をしています。
著者「あの頃(90年代半ば過ぎ)、当時の役員会などで、どうやってインターネットをビジネスチャンスに変えるか議論したことはなかったのか」
父親「記憶にないなあ。あの頃は円高やらバブルの後処理やらに忙殺されとったからなあ」
シャープほどの大企業の経営陣が90年代半ば過ぎ、インターネットをビジネスチャンスに変える議論をしなかったというのは驚くべきことです!
最期の第6章で著者は5つの大罪に共通する原因を記した上で、日本企業再生のための提言を行っています。共通する原因とは、「日本企業における圧倒的な議論不足」すなわち「儲かる、儲からない、売り上げが計画に届く、届かない、といった数字の議論には日々熱心なのだが・・・物事の本質を探ったりする議論は不足していた」。かつては日本企業の強みだった高い同質性は今の時代、企業の飛躍的な成長をもたらさないと言います。提言のキーワードは「ダイバーシティー」「「経営陣の質の向上」、そして「社員のエンゲージメントの向上」。それをどのように進めるか。それが第3次デジタル化で日本が再生するカギを握るとしています。
著者は部下に3度リストラを言い渡しました。特に3度目は大きなリストラだったそうで、当事者として業界の中にいながら、結果として何も残せず、リストラを言い渡すという辛い体験をした。その忸怩たる思いや悔悟の念がこの本を書かせた1つの動機(というか、その背後にある感情)と思われます(自らも2度リストラされました)。もう1つの、より大きな動機は、多くの日本企業が失敗を失敗と認めない現状に不満をいだいたからです。著者は苦い記憶をたどって2年をかけてこの本を執筆しました。
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