自宅の近所の書店に1週間に1度は足を運びます。何年か前から高齢者向けの本が目に付くようになりました。著者は自ずと知れた樋口恵子、佐藤愛子、五木寛之、和田秀樹・・・といった面々。2年前の統計によると、私が住む葛飾区の高齢化率は24.5%で都内23区のうち第2位(ちなみに1位は足立区で25.8%)。だから高齢者向けの本が売れるのだなあと思っていました。先週、新書コーナーの新刊の棚にエッセイスト酒井順子さんのこの本が置かれていました。そのタイトルに惹かれて手に取ってページをめくってみると、冒頭の見出し「書店に並ぶ『老いスター』」で同じ作家たちの名前が書かれていました。酒井さんの家の近くの本屋は「老い本だらけ」になっているとのことで、それが日本社会の世相に敏感なエッセイストの興味と関心を引いたようです。この本の「はじめに」で「老い本、および老い本の著者たちを検証することによって、日本の高齢者および高齢化の今と今後がみえてくるのではないか・・・」とこの本の目的が書かれています。以下、彼女の分析で興味深かったり、鋭いと思ったりした点を取り上げてみます。
老人社会に片足を突っ込んだ感がある60代向けの本について、男性向け60代本は「やぶれかぶれ感」がある一方、女性向けの本は「ちんまりと生活を楽しみましょう的なものが多い」と分析しています。その例として、和田秀樹著『60歳からはやりたい放題』、弘兼憲史著『弘兼流 60歳からの手ぶら人生』『弘兼流 60歳から、好きに生きてみないか』、鎌田實著『60歳からの〈忘れる力〉』を取り上げています。今の前期高齢者は会社人間として外で仕事一筋に働いてきました。それだけに定年がショックで、そのショックを忘れるために「今までのことはいったん忘れて、何でもありだと思ってこれからは生きていこうや」とこれらの本は語りかけている――それが、上記の例にみられる男性60代向け本の特徴であると。60代女性向けの本はどうでしょうか。詩人で文筆家の銀色夏生著『60歳、女、ひとり、疲れないごはん』、岸本葉子著『60歳、ひとりを楽しむ準備 人生を大切に生きる53のヒント』、宝島社「60歳を過ぎたらやめて幸せになれる100のこと』など、どれも生活に言及していて「生活をもっと小さく、シンプルにそぎ落としていきましょう」というメッセージが特徴だと述べています。
次に「配偶者に先立たれる」という小見出しの章では、妻に先立たれた知識人の夫が書いた本が取り上げられています。江藤淳著『妻と私』、城山三郎著『そうか、君はもういないのか』、加藤秀俊『九十歳のラブレター』。これらの本で「私的な感情とは遠く離れた理の部分で仕事をしてきた男性たちが、妻を失うことによって、自身ではコントロールできない激情に翻弄されていく様子に、読者は衝撃をうける」と読者の心情を推測。知識人ではなくても、男性は女性に比べて平均寿命が短く、しかも夫が年上のカップルがおおい日本では、妻が先に他界して夫は「まさか相手に先立たれるとは」と天地がひっくり返るようなショックを受け、さらに「明日のメシ、どうしたらいいの?」という現実の問題も差し迫られる――。
それゆえかどうか、シニアの一人暮らし本に2つの特徴があり、そのうちの1つは「書き手は女性である」ということ。もう1つは「本のタイトルの冒頭に年齢が来る」と述べています(上記60代女性向け本もそうです)。佐藤愛子さんの大ベストセラー『90歳。何がめでたい』はその典型例。また、生活系のシニア本の開拓者的存在である吉沢久子は『85歳、老いを楽しむ人づきあい』を書き、2003年に『91歳。今日を悔いなく幸せに』を著すと似たようなタイトルの本が100歳まで続いたそうです。こうした本が売れる理由として、夫と死別もしくは離別し、子どももすでに独立している女性たちは「日本の高齢女性たちは専業主婦だった人が多いため、老後の1人暮らしとなると、日本名物BB(貧乏ばあさん)になりがちである」(←樋口恵子さんの分析を紹介)。そのような人が限られた年金と収入の中で工夫しながら心豊かな生活を送っている様子を書くからこそ、読者の共感を呼ぶというのです(←これは酒井さんの分析)。
ついでに男女差の例をもう1つ紹介します。それは死についての見方・感じ方です。この本によれば、死に本のブームを開いたのは1994年に発刊された永六輔の「大往生」だそうで、246万部という空前の売り上げを記録しました。この本がブームだった頃に、樋口恵子さんが「大往生」について発した鋭く面白いコメントが紹介されています。
「大往生は男の発想、女は介護で立ち往生」
男が思う大往生とは、畳の上で(=自宅で)妻子に看取られて「大往生したい」という希望のことなのではないか。1994年は介護保険制度がスタートしていなかったので、介護は妻の仕事でした。だから女性は「家で死んだら、どれだけ迷惑がかかると思う?病院でプロに看取ってもらう方がどれだけ気楽か」と思う――というわけです。
「おわりに」の大見出しは「老い本の不安と希望のしるし――ぴんころ地蔵と姨捨山を訪ねて」。日本人の平均寿命は男性およそ81歳、女性87歳。ところが健康寿命(=健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間)は男性およそ73歳、女性76歳。つまり、生活に支障をきたして誰かの介助が必要な期間は男性8年間、女性11年間にもなります。かつては高齢者にとってガンになることが最大の恐怖でしたが、今は認知症になったり、長期に寝たっきりになったりして家族や周囲に迷惑をかけることが恐怖のNO.1。なぜなら、と酒井さんはその理由をこう書いています。「日本人はそもそも他人に迷惑をかけてはならないと幼少期より強く叩き込まれて育つが、その意識が高齢になるにつれて強まり、年をとって他人に迷惑をかけたらどうしようという恐怖心を誰もが抱いている」。老い本がこれだけ大量に刊行されるのは、「世界有数の長寿国という事実、そして『迷惑をかけてはならじ』という感覚の尋常ではない強さがある。老後に他人に迷惑をかけないようにするために、そして『迷惑をかけてしまったら』という恐怖に打ち勝つために、人は老い本を読むのだ」と「高齢者の今」を見ています。「今後」については、「日本の高齢者が老いに対する不安を強めれば強めるほど、老い本業界は盛んになっていく」といった程度の分析で終わっています。
本の最後に、映画『楢山節考』で有名になった長野県の姨捨山にお参りし、「伝説によっては60歳で捨てられたケースもある」「58歳の私としては、まったくもって他人事ではない」と心の内を披露しています。冷静沈着に分析の筆を進めてきた酒井さんでさえ心に抱く恐怖心が最後にちらりと垣間見えました。
※酒井さんは、私が以前に勤務していたNGOの評議員を務めていた関係で、何度かお目
にかかったことがあります。いつも優しい眼と控え目な話し方や物腰。でも一旦筆 を握ると鋭い社会分析が次々とページに表れてきます。「負け犬の遠吠え」からこの
本まで、その鋭さは変わりません。
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