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 クリックシュタイン先生の思い出

執筆者の写真: 直樹 冨田直樹 冨田

更新日:2022年4月14日

 1991年8月、留学先のテキサス州立大学サンアントニオ校に到着して、9月後半から始まる授業の一覧が載っている分厚い冊子を見ていました。私の専攻はPolitical Science(政治科学)だったので、音楽学部にギター科があり、二人の先生がいることを知りましたが、あまり気にも留めませんでした。ところが構内の学生食堂で2つの偶然が起こりました。偶然その1。新学期が始まり、学生食堂に置いてあった生徒向けのフリーペーパーを何気なく手に取ると、1面に大きな写真とともにジェラルド・クリックシュタイン(Gerald Klickstein)のインタビュー記事が掲載されていたのです。詳しい内容は忘れましたが、スペインで”ギターの神様”と言われたアンドレス・セゴビアの講習を受け、そのあまりのうまさに驚いたセゴビアが講習後、彼の口利きでクリックシュタインを連れてスペイン全土でコンサートを開かせたと書いてありました(セゴビアはめったにそんなことはしないそうです)。偶然その2。その記事を読んで2~3週間後、同じ学生食堂で、私の2列先の席で彼がこちらを向いて同僚と楽しそうにランチを取っていたのです(以後、帰国までの2年間、他の授業の先生も含め、学生食堂でそのようなことは起きませんでした)。彼が席を立つと直感的に彼の後をつけ、彼のオフィスの場所を確認しました。英語に四苦八苦していてギターのレッスンどころではなかったのですが、1週間後、意を決して彼のオフィスに行き、緊張でドキドキしながらドアをノックし「先生の授業を受けたいのですが」とお願いしました。そしてその1週間後の同じ時間に彼の前でギターを弾くことになりました。弾いた曲はラグリマとアデリタという比較的簡単な曲でしたが、演奏を聴いた彼はしばらく黙っていて・・・・・・・・・・ようやく一言。

――君のギター(楽器)は素晴らしい。

演奏がひどくて褒める点がなかったので、やむなく楽器をほめたわけです(アメリカ人は褒めて生徒の成長を促すといわれていますが、まさに彼もその一人です)。

――しかし、君の右手のあちこちに緊張があり、余分な力がかかっている。ゼロからはじ 

  めよう。

 こうして1学期間=約3か月(週1回、1回30分)、座り方とギターの構え方から習い始めました。彼の持論は、ギターは音量の小さい楽器だけれど、透明感があって芯のある音を出せば、ピアニッシモの音でもホールの一番端に座っている人に豊かな音が届く――1学期間、彼から習ったのは、その音を出すための右腕の正しい指の動かし方(と脱力の方法)でした。口癖は“Make sense”= 「意味をなす、理に適っている」といった意味ですが、上から目線で辛辣な批評をして人の気持ちを挫いてしまうのではなく、私の弾き方をよく観察した上で、なぜそれが良い音につながらないのかを私の貧弱な英語力でもわかるように言葉を選んで説明し、そのたびに"Make sense?"と尋ねて同意を取ろうとしていました。

 彼に習ったのは残念ながら1学期間だけで、彼は助教授から正教授となってノースカロライナ州立大学に移ってしまいました。彼が去ると知って、最後の授業だったと思いますが、思い切って「先生の演奏会の録音テープをいただけませんか」とお願いすると“I will try(約束はできないけれど努力してみる)”との返事でした。3週間ぐらい待ち、(あの時、メモも取っていなかったし、引っ越しで忙しいだろうし、もう忘れているんだろうなあ)などと思っていると、彼からカセットテープが届きました。メッセージには「少しミスタッチしているけれど、気に入ってくれたら嬉しいよ」。他の生徒仲間は「彼が自分の演奏会のテープをダビングして送ってくれるなんて、アンビリーバブル!!」と羨望のまなざしでした。あっという間の1学期間でしたが、まるでギターの神様が天からふわりと降りてきて親身に指導してくれた—―そんな夢のような貴重な3か月でした。

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