1723年、バッハはライプチッヒの聖トーマス教会のカントール(音楽監督)に就任しました。当時、同市には4つの教会があり、日曜日ごとに各教会で演奏される礼拝音楽は市民の楽しみでした。バッハは毎日曜祝日に行われる説教などの内容に合わせてカンタータ(礼拝音楽)を作曲し、演奏の指導と指揮に大忙しでした。それ以外にも復活祭とかクリスマスとか様々なイベント用にも作曲が要求されました。年間60曲ぐらい作曲したといわれています。作曲したら、それを聖トーマス教会付属の学校の生徒からなるオーケストラの人数分を写譜し、演奏指導し、毎週日曜日に本番というスケジュールでした。しかし、楽師や生徒の演奏レベル(や情熱)は必ずしも高くなかったようです。こうした状況に加えて、大学を出てないバッハの給料は希望額には満たず、一時、教会での仕事に情熱を失ったようです。
一方、大学の町ライプチッヒは学生たちや楽師による音楽活動が盛んで、コーヒーハウスなどで公開の演奏会がしばしば開かれていたそうです。そこでバッハは音楽の情熱をこの公開演奏会にも注ぎ、教会音楽ではない器楽曲を作曲しカフェなどで指揮もしました。ヴァイオリン協奏曲やチェンバロ協奏曲などはこうして生まれました。このアリオーソも、カンタータ156番「片足は墓穴にありて我は立つ」の第1曲「シンフォニア」をチェンバロ協奏曲第5番の第2楽章「ラルゴ」に転用した曲です。オリジナルの「シンフォニア」はオーボエで演奏されますが、「アリオーソ」は今では様々な楽器で演奏されています(例えば、コルトーがピアノ版を編曲しています)。「アリオーソ」は「アリア」から変化した言葉で「歌うように」という意味だそうです。ゆっくりした曲ですが、それを「歌うように」(特にバッハの音楽を)弾くのはとても難しく、後半などはつい急いでしまいました。
※次回は映画「黒いオルフェ」のテーマ曲、その次はパッヘルベルの「カノン」を予定しています。
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