予定より大幅に遅れましたが、バッハのチェロ組曲第5番のガボットI&IIをアップします(難曲でした!)。バッハはリュート(ギターの前身)のためのオリジナル作品は作曲していませんが、それぞれ6つある無伴奏ヴァイオリンとチェロの組曲から4つのリュート組曲を編曲しました。
ヴァイオリンとチェロの無伴奏組曲はそれぞれレパートリーの最高峰の曲と言われています。どの組曲も舞曲から成り立っていて、例えば、このガボットI&IIを含む無伴奏チェロ組曲第5番はプレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、ガボットI&II、ジーグから成り立っています。舞曲、つまり踊りの曲ですが、無伴奏のどれを聴いても踊りたくなるような、楽しく生き生きとした感じはありません。オルガン奏者で指揮者の鈴木雅明氏は著書『バッハからの贈り物』の中で、バッハの無伴奏は「本来、単旋律ではなく和声的に充実した響きが脳裏にあって、その中から抽出した1本のラインが無伴奏になった」と分析しています。ただし彼の弟でチェロ奏者の鈴木秀美氏の練習を聴いていて「暗い。内向的。ストイックすぎる」と感じるそうで、無伴奏組曲はあまり好きではないようです。確かに、あまり踊り出したくなるような曲ではないのですが、しかし、私にはどの曲にも深い精神性のようなものが感じられます(私の演奏からではとても無理ですが)。
その精神性の深さはどこから来るのでしょうか?
しかも――。バッハは最初と2番目の奥さんとの間に合計で20人の子どもを作りました。幼少で亡くなった子どもが確か11人で、9人の子どもが育ちました。家にこんなにたくさんの子どもがいたら、家の中はさぞかし騒々しいだろうと思うのです(バッハは音楽家の一族で男の子は音楽家にすることになっていて、父親たるバッハも教育パパとして大きな役割を果たしていたようです)。そんな環境の中で、深い精神性を感じられる曲を次々と作曲することできたのは何故でしょうか??
この問いに答えることは、私の乏しい知識と拙い筆力ではとても無理ですが、代わりに今、再読している、チェロ奏者カザルスの自伝『喜びと悲しみ』の冒頭部分を紹介します。「過去80年、私は1日を全く同じやり方で始めてきた。それは無意識な惰性ではなく、私の日常生活に不可欠なものだ。ピアノに向かい、バッハの『前奏曲とフーガ』を2曲弾く・・・それはわが家を潔める祝禱なのだ・・・バッハを弾くことによってこの世に生を享けた喜びを私はあらたに認識する・・・バッハの音楽は常に新しく、決して同じであることはない・・・自然と同じように1つの奇跡である」。これ、全然答えになっていませんね🙇。そういえば、ショパンがジョルジュ・サンドと夏の休暇にマジョルカ島に行った際に持って行った唯一の楽譜がバッハの平均律グラビア集でした。カザルスもショパンもバッハから何か大きなものを得よう・学ぼうと思っていたのではないでしょうか。
ちなみに、無伴奏チェロ組曲の楽譜は作曲されてからずっと忘れ去られていたようです。1890年のある日、13歳のカザルスがお父さんと何気なく入った楽器店に積んであった一群の楽譜の中からクシャクシャになった一束の楽譜を手に取ると、それが無伴奏チェロ組曲集でした。以後、カザルスは日夜練習と研究を繰り返し、12年後に初めて人前で演奏した――と自伝に書いてあります。カザルスにして12年の研鑽!頭が下がります。
※ 次回アップする演奏はタレガ作曲「アラビア風奇想曲」です。
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