top of page

「老後とピアノ」(稲垣えみ子著 ポプラ社)

  • 執筆者の写真: 直樹 冨田
    直樹 冨田
  • 2022年6月20日
  • 読了時間: 4分

更新日:2022年6月21日

 著者は朝日新聞が従軍慰安婦問題で厳しい批判に晒されている時に社説を担当していて、暴風を真っ向から受け止めていました。50歳で退社し(彼女の『魂の退社』を面白く読みました)、「夫なし、子なし、冷蔵庫なし、ガス契約なし」の生活を送っています。アフロヘア―がトレードマークで、テレビや雑誌など様々なメディアで活躍しています。その彼女が、行きつけのカフェ(そこにピアノが置いてある)で雑誌『ショパン』の社長と偶然出会い、何か連載を書いてくれと頼まれ、ふと、子どもの頃、習っていて挫折した(その時は練習が嫌いだったが、40歳ころから何となく再開したいと思っていた)ピアノをもう一度習う、その様を連載したらと提案して即決。それがこうして一冊の本になりました。

 高級マンションから築50年の1DKマンションに引っ越した彼女にはピアノがないので、そのカフェで開店前と開店後にピアノを弾かせてもらうことにしました。原稿料を場所とピアノの使用代にあて、ピアノの先生は日本の音楽コンクールのピアノ部門で第2位になったイケメン先生を社長から紹介してもらい、月1回のレッスンを受けることに。そこからピアノとの格闘が始まります。その格闘の様は希望と絶望の間をジェットコースターのように上がったり下がったり(←はい、身に染みてわかります)。そのモーレツな上がり下がりの一端を再現してみると・・・。

 まず、最初――新聞社時代に社会で相手にしてきた『ニンゲン』はまったく自分の思い通りにはならないが、それに比べて『ピアノ』はあくまでも自分次第。子供時代と違って様々な挫折や失敗などの人生経験を積みながら半世紀を生きてきた今の自分ならそこから逃げ出さず、立ち向かって努力し進歩できるはず。まあ、少なくとも『ニンゲン』よりはちょろい・・・。そして恐る恐る40年ぶりにピアノに触って「きらきら星変奏曲」(モーツアルト)を弾いてみると最初は指が動かなかったが、繰り返し弾いているうちに指が動くようになってきて明らかに進歩した・・・(←希望)。2度目のレッスンで課題曲としてショパンのワルツを出される。しかし楽譜を見て絶句。シャープが4つもついている嬰ハ短調のワルツ。起点となるドにもシャープがついて「なんでわざわざこんなややこしいことを!なにかの嫌がらせ?」とショパンに怒りすら覚える著者。こんがらがる頭と指で1音ずつ15分格闘して1小節も進まない。黒鍵の音符に赤印をつけてみると楽譜はほとんど赤印。「ショパンの野郎」と怒りながら必死に解読してポツリポツリと音を鳴らし始めるが、驚くほどの進歩のなさに唖然とする(←絶望)。来る日も来る日もショパン、ショパンで次のレッスン日を迎え、先生の前での演奏はボロボロ。しかし次の先生のコメントが心に刺さる。「自分がこんなにうまく弾けるんだということを見せたいわけじゃない。こんな素晴らしい曲のことを知ってほしいと思って弾くんです」。このコメントに著者は「私は何を目指しているのだろう。ピアノを習うってどういうことなのか。ただの暇つぶし?・・・まずは目の前の曲を自分なりに弾けるところまで頑張ろう。そうしたらその先に何かがあるかもしれないし、ないかもしれない。まあ、生きるってそういうことですよね」(←少し希望)。次にちょっとコラム風のページが入り、やや距離を置いて自分を見つめます。「やらされる子供時代のピアノと大人のピアノは違う。誰に強制されるでもなく『弾きたいから弾く』ことがこれほど気持ち良いものかと誰もが驚くだろう・・・いい年こいた大人が今更熱心に練習したところで、言っちゃあ何だが、たかが知れているのである。それでも弾くのが楽しいということが実に新鮮な世界である」。これ、いいコメントですね。

 紙幅がなくなってきたので、以下、小見出しを連ねます(ジェットコースターは続きます)。「気が付けばピアノを聴きまくり」「妄想の世界にどっぷり」「グールドみたいに弾いてみたい」「自ら選んだ曲を途中で投げ出す」「気持ちは先走り、老体は置いてけぼり」。ここら辺りは、努力の結果生まれる進歩より老いのスピードの方が速いのではと恐れおののいています(←少し絶望)。そして2時間の練習が3時間になり、朝練、夜練を重ねたのに上達を感じられないスランプモードに陥る(←さらに絶望)。この後、「初めて練習が嫌になる」「じゃあ、ピアノ・・・やめる?」(←絶望の最底辺?)。しかし、この段階でピアノは著者の人生にどっぷり入り込んでいて、「生きていくうえでかけがえのない何か」になっていたのです。この後、「遅まきながら基本のキ」「こうありたいというエゴを捨てる」「『目指すべき何かがある』という幸せ」。そして、最後の方で発表会に出る決心をして「人生最大のピンチ」を迎えますが、それも何かと乗り切ります。

 雑誌『ショパン』の読者を意識してか、自分を実験台に面白おかしくピアノ再開の様子を描く筆の進め方にはやや表現過剰な部分もありますが、50歳を過ぎてピアノ(音楽)を習うことの意味をするどく抉るコメントがいくつもあり、ギター教室を始めた私には大いに参考になりました。


最新記事

すべて表示
「ゴリラの森、言葉の海」(山極寿一 小川洋子 新潮文庫:2021)

ギターを教え始めて早2年半が経ちます。音楽家のはしくれとして「音楽って何だろう?」「音楽で何ができるのだろう?」ということを時々考え、音楽に関する本を読んだりします。元NHK交響楽団のコンサートマスター篠崎史紀氏は著書『音楽が人智を超える瞬間』(ポプラ新書)の中で「音楽には...

 
 
 
「パリ左岸のピアノ工房」(T.E.カーハート 村松潔 訳:2001年:新潮社)

長く本棚に積んであった本(多分15年ぐらい)。ふと手に取って表紙をめくったら、右側にこの本のレヴューが載っていました。「パリに住み着いた『わたし』は、子供の学校の送り迎えごとに、毎日『デフォルジュ・ピアノ店』の前を通りかかる。なんのへんてつもない店。だが、もう一度ピアノに触...

 
 
 
「老いを読む 老いを書く」(酒井順子著 講談社現代新書 2024)

自宅の近所の書店に1週間に1度は足を運びます。何年か前から高齢者向けの本が目に付くようになりました。著者は自ずと知れた樋口恵子、佐藤愛子、五木寛之、和田秀樹・・・といった面々。2年前の統計によると、私が住む葛飾区の高齢化率は24.5%で都内23区のうち第2位(ちなみに1位は...

 
 
 

Commentaires


bottom of page