「通訳ダニエル・シュタイン」(上)(下)(リュドミラ・ウリツカヤ著、前田和泉 訳:2009年 新潮社)
- 直樹 冨田
- 7月24日
- 読了時間: 8分
昨年末頃から外国モノをよく読んでいます。2月に「パリ左岸のピアノ工房」をこのブログにアップしましたが、それ以外にもハン・ガン著「菜食主義者」、ガッサン・カナファ―ニ―著「太陽を盗んだ男」、アン・ウォームズリー著「プリズン・ブッククラブ」、チョ・ナムジュ著「82年生まれ キム・ジョン」、W・シュビルマン著「戦場のピアニスト」、M・G・ヴァッサンジ著「ヴィクラム・ラムの狭間の世界」等など(面白くなくて途中で投げ出した本もあります)。中でも最近読み終えた「通訳ダニエル・シュタイン」は深~くその世界に浸りました。ホロコーストや第2次世界大戦、中東戦争、イスラエル・パレスティナ紛争という複雑な世界の中で1つの生き方の見本を示してくれた本でした。
主人公のダニエルはポーランド系ユダヤ人。1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻し、続いてダニエルの住むリトアニアにも侵攻・占領し、そこで捕まってベラルーシに連れていかれました。外見がユダヤ系に見えず、かつドイツ語とポーランド語が堪能だったこと、及び偶然が作用して(ユダヤ人であることを隠して)ベラルーシのドイツ占領軍司令部(ゲシュタポ)長官の通訳兼秘書になりました。ユダヤ人を殲滅するため、地元の警察にユダヤ人狩りの命令を通訳するダニエルは、あるゲットーの町で800人のユダヤ人全員を処刑(射殺)する情報を事前に流し、またひそかに小武器を手渡して彼ら全員を救おうとしました。が、逃げたのは300人だけで残り500人はその町にとどまり、ナチスに処刑されました(500人が逃げなかったことにダニエルは衝撃を受けました)。情報を流したことが露見すれば自分も処刑されるのに、なぜそんな危険な行為をしたのでしょうか?当時の心境を後年、こんな風に回想しています。「ゲシュタポでの仕事は、秘書として電話に対応し、隊員たちの当直の分担を決め、会計報告書をつけました。書類の翻訳や住民相手の仕事も私の分担でした。刑事事件に関連するものはできる限り正確に訳すように努めました…ゲシュタポで働いている以上、そこで起きていることに対して、私にも責任があるのだということを分かっていました。直接手を下して命を奪うわけではありませんが、自分も関与しているように感じていたのです。だからこそ、自分が間接的に関わっていることに対して、何か心の平衡を保てるようなものを強く必要としたのです。後々、両親や弟と向き合って恥ずかしくないよう行動しなればなりませんでした」「当時のあの場所に共通する雰囲気に関しては、もう1つ驚くべき、そして悲しむべき状況がありました。あの頃、私の机は現地の住民からの届け出であふれていましたー―それは、隣人に対する密告や苦情や告発などです。そのほとんどすべてが間違いだらけで、嘘であることも多く(彼は自分の足で密告が事実かどうか調査しました)、どれもこれも卑劣なものでした。私は常に鬱々と落ち込まずにはいられず、そのような状態をいつも周囲から隠していなければなりませんでした。それはおそらく、これほど間近に人間の卑劣さや忘恩や醜悪さを見たことが、それまで一度もなかったからでしょう。私はなぜこうしたことが行われるのか、その理由を探しました。そして1つだけ発見しました。それは、地元ベラルーシ人住民がひどく貧しく教育もなく、怯え切っているということでした」。結局、ダニエルが情報を流していたことがゲシュタポに露見。しかし、処刑される直前で逃走しました。その時、彼を匿ってくれたのがカトリックの女子修道院でした。ユダヤ人を匿うと、匿った側も処刑されるにもかかわらず5か月もの長期にわたって。ダニエルは屋根裏部屋に隠れていた間、同修道院にあった蔵書(カトリックやユダヤ教関連などの本)を読み込みました。
この本の大きなテーマの1つは、ユダヤ人であるダニエルがなぜユダヤ教ではなくキリスト教に帰依し、その司祭となったか、ということです。しかもイスラエルで(イスラエルの土地は神がユダヤ人に与えた土地だという宗教上の理由を根拠に、その土地は自分たちのモノだと主張して住んでいるので、ユダヤ教こそイスラエル及びイスラエル人の存在理由なのです。だからユダヤ教ではなくキリスト教の洗礼を受けたということはその土地に住む存在理由を否定することになります。それ故、カトリックのユダヤ人はユダヤ民族共同体に属することできないとこの本では書かれています)。
少し話を端折り過ぎました。さて戦争が終わると、ポーランドのクラクフに戻り、カルメル会修道院でカトリック教徒として洗礼を受けて同教会で働き、さらに後年、司祭となってイスラエルに渡り、イスラエルのハイファで小さな教会〈泉のほとりのエリヤ教会〉を建てます。しかし、建国間もないイスラエルは一致団結して中東戦争を戦いっている最中で、ヨーロッパで何百年もの間ユダヤ人を差別してきたカトリック教徒のダニエルには市民権こそ認められましたが、ユダヤ人としての民族籍は認められませんでした(露見すれば処刑される危険を顧みずゲットーのユダヤ人300人を救った英雄として有名な人物であるにもかかわらず)。また、自分の教会でクレドを抜かすなど独自のミサを行っているため、ミサ催行上重大な違反を起こしているとしてバチカンに呼ばれ、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世と1対1で対話します。そのヨハネ・パウロ2世は、ダニエルがクラクフの修道院で下っ端として働いていた時の仲間(同僚)でした。ダニエルがなぜバチカンが決めたミサのルールに従わず独自のミサを挙げるのかに関する教皇や法王庁教育省長官(枢機卿)との対話は実に興味深いのですが(教皇とはお互いファーストネームで話し合います)、紙面の都合上省略します。
この本にはダニエル以外にもたくさんの人物が登場しますが、その主な登場人物は、ダニエルが提供した情報でゲットーを逃れた300人に関わる人たちです。帯に「主要登場人物」が書かれているので以下、少し肉付けしつつ抜き書きしてみます。
エヴァ・マヌキャン:旧ソ連出身のユダヤ人女性。母親リタはコミュニストの活動家で、ダニエルの手引きでユダヤ人ゲットーから脱走し、森の隠れ家で彼女を生んだ。母は娘を顧みず社会活動に従事し、母娘関係は破綻している。
エステル・ハントマン:ユダヤ人の女医。医師の夫イサークとともに、ダニエルの手引きでゲットーから脱走。ゲットーや隠れ家などで夫婦とも熱心に医療活動をした。イスラエルに行くが、その後アメリカに移住。
ヒルダ・エンゲル:ドイツ人女性。祖父がナチスの軍人だったことに良心の呵責を感じ、ユダヤ人への罪滅ぼしのため、イスラエルのダニエルの教会で働き始める。
テレーザ・ベンザ:幼い頃、両親を亡くし、伯母に引き取られるが、伯母とその夫の性生活がトラウマになり心に深い傷を負う。ロシア正教の男性と偽装結婚してイスラエルに渡り、ダニエルの教会を訪れる。息子がゲイをカミングアウトし、心悩む。
ゲルション・シメス:ロシアのユダヤ人一家に生まれる。地下出版でユダヤ人の雑誌を出したり集会をしたりして当局に捕まり収容所生活を送った後、国を出てイスラエルのギブツに入り、次第に過激なユダヤ主義者になっていく。
これら以外にも様々な人物が登場し、ダニエルを軸に政治や宗教に翻弄されつつ必死にいきていく人々の姿が書簡やら談話やら手記やら新聞記事などでパッチワークのように紡がれています。目次の順に従っていくつか拾ってみると—―
〇1959年ナポリ、ダニエル・シュタインより、弟のアヴィグドル・シュタイン宛電報
〇1990年11月 ダニエル・シュタイン神父とフライブルグ市の小学生たちとの対話より
〇1986年 ボストン、エヴァ・マヌキャンの日記より
〇1964年 ハイファ、ヒルダ・エンゲルよりダニエル・シュタイン司祭宛書簡
〇1964年 イスラエルの新聞から
〇2006年3月 モスクワ、リュドミラ・ウリツカヤ(著者)よりエレーナ・コスチュコヴィッチ宛書簡
〇1966年12月 〈泉のほとりのエリヤ教会〉でのブラザー・ダニエルの談話テープ
〇1988年4月 ボストン、エステル・ハントマンのエヴァ・マヌキャン宛書簡より
〇1959―1983年ボストン、イサーク・ハントマンの手記より
〇1972年 ドゥブラヴァ強制収容所-モスクワ、ゲルション・シメスと母ジナイーダの往復書簡
この物語は、ダニエル・ルフェイセンという実在の人物をモデルに、著者のリュドミラ・ウリツカヤが膨大な資料を読み込んで織り上げた歴史小説です。上記に挙げたその他の人物は著者の想像上の人物だそうです。終わりの方の書簡で著者は、この実在の人物と会った際の印象やこの物語を書く動機をこのように書いています。
「この物語がはじまったのは、ダニエル・ルフェイセンが私の家を訪れた1992年8月のことでした。彼はミンスクへ行く途中でモスクワに立ち寄ったのです。椅子に座ると、サンダル履きの足が床にようやく届くか届かないかぐらいでした。とても愛想がよく、とても普通の人でした。でもその時私は何かが起きているのを感じましたー―屋根が分解してしまったような、あるいは天井下に火の玉が浮いているような感じです。それから私は悟りましたー―この人は神のいるところに生きているのだ、そしてその神の存在があまりに強力なので、他の人にもそれが感じられるのだ、と。私たちは飲んだり食べたり、おしゃべりをしたりしました。彼は質問を受け、それに答えていました。ありがたいことに誰かがレコーダーをセットしていたので、後になってから会話全体を聞き直すことができました。その一部はこの本の中にも使われています。総じて私は、彼について書かれた本――アメリカ人女性ネハマ・テックの『ライオンの穴の中で』や、ドイツ人コルバッハの著書や、その他いろいろ――から得た情報をかなり利用しています。ダニエルのことを書いたものはどれも、彼の存在の大きさからすると物足りないように思いました。私は自分で書こうと思い、イスラエルに行きました。その頃もう彼は亡くなっていましたが、弟さんや、彼の周りにいた多くの人々と会いました・・・」
ダニエルがなぜイスラエルでカトリックの神父として活動したか。それは様々な場面で難しくない言葉で書かれています。それとともに、というかそれ以上に彼の行動によってそれが示されています。が、それを説明するとここまでと同じぐらいの字数がさらに必要になるので省略します。興味のある方はぜひこの本をお読みください。
Comments