「ゴリラの森、言葉の海」(山極寿一 小川洋子 新潮文庫:2021)
- 直樹 冨田
- 12 分前
- 読了時間: 4分
ギターを教え始めて早2年半が経ちます。音楽家のはしくれとして「音楽って何だろう?」「音楽で何ができるのだろう?」ということを時々考え、音楽に関する本を読んだりします。元NHK交響楽団のコンサートマスター篠崎史紀氏は著書『音楽が人智を超える瞬間』(ポプラ新書)の中で「音楽には希望、勇気、憧れの3つの要素がある」と書き、1866年にオーストリアがドイツ(プロイセン)との戦争に負けて、落ち込むオーストリア国民を鼓舞するためにヨハン・シュトラウス2世が「美しき青きドナウ」を作曲し、国民が敗北から立ち上がったという例を挙げました。西洋音楽史の本を紐解くと、西洋音楽の起源は8~9世紀のグレゴリオ聖歌から始まると書いてあります。その当時の音楽の記譜法が記録として残っていて、当時の音楽が再現できるのはこの頃から、だからです。もちろんそれ以前にも人間の生活に音楽が存在していました。紀元前3~4世紀の古代ギリシアのプラトンもアリストテレスも音楽の効用について論じていたり、当時の音階や音律について論述したりしているそうです。もっと前、例えば、旧約聖書ではモーゼ率いるユダヤ人の一群がエジプト軍の追撃を逃れて海を渡り切った後、太鼓の伴奏で歌を歌い、神に感謝の祈りを捧げたという記述があるそうです。
『ゴリラの森、言葉の海』を読み始めた理由は、「音楽って何だろう」という問いに対する答えを見つけようと思ったからではなく、別の興味関心からです。まさかゴリラが音楽を知っている(歌を歌う)とは思っていなかったからです。ところがそうではありませんでした。日本のゴリラ研究の第一人者で、30年以上にわたって野生のゴリラを研究してきた山際寿一氏(前京大総長)は、この本の中でこんなエピソードを紹介しています。――ゴリラの調査で森に入っていた時、どこからか「グリーンスリーブス」のようなメロディーが聞こえてきた。山際氏は道を外れた観光客が歌っていると思い、危ないから注意しようとその観光客を探したけれど全然人影がない。おかしいと思っていたら、そこにゴリラがいた。群れから外れて行動し始めていた若いゴリラが一頭で鳴いていた。一頭で行動するゴリラのオスは本当に孤独。どの群れからも相手にされない。人間の場合、森の中を複数で歩くのと違って一人で歩くとどんな音でも気になる。1対1で動物に遭遇するかもしれず、襲ってくるかもしれない。相手も身構えて人間が来るのをじっと見ている。そういう状況を一人で全部乗り切らなければならない。ゴリラも同じで、自然の中の気配や物音が気になって、歌でも歌わなければ不安なのではないか。ゴリラと音楽に関するもう一つ別の例は、みんなで食べているときに合唱するように鳴くこと。これは、他のゴリラが食べていないとしない。全員が食べて(つまり食物を争わなくてよくて)食べる楽しさを分かち合ったときに共感の声。後者の例から、山際氏は「音楽的な音声から、人間のコミュニケーションが作られた。それが心を通じ合わせるという能力を高めたのではないか」と類推しています。音楽の起源はこんなところにあるのでしょうか。
『ゴリラの森、言葉の海』は他の面白い話も満載でした。例えば、ゴリラではなくサルの食事の話ですが、要約するとこんな感じです。サルは毎日食べなくてはならない(「人間が毎日食事をしなくてはならないのは、サルの体を受け継いでいるから」と山極氏)。しかも一か所に食べ物がたくさんあるわけではないから、食べながら群れで移動していく。だから、いつ、どこで、どのようにして、誰と仲良く食べるかという課題を毎日解決しなければならない。自分がある食べ物を先に食べたら、リーダーが気分を損ねないかなどと考えることもある。一日の大半を食べることに費やしている彼らは、食べることこそが社会性を発揮するときで、そういう食べ方を経験しないと野生では生きられない(人の手で育ったサルは野生では生きられない)。人間は農耕牧畜が始まるまでの数百万年間、あまりサルと変わらない生活をしてきた。全く同じとは言わないけれど、人間もそういう特徴をもっているから、食べ方は非常に重要だと思う・・・。
この本の最後に二人が対談の感想を書いていますが、このブログでは対談相手の作家、小川洋子さんを取り上げなかったので、最後に彼女の感想を書き抜いてその埋め合わせとします。「最初はゴリラの話をしていたはずなのに、気が付くといつの間にか、話題が思いもよらぬ方向に発展している・・・。父性の役割、共食の成り立ち、約束という未来の共有、暴力の意味、死の概念、神の存在、物語の芽生え・・・。ゴリラは私たちを遠い場所まで運んでくれました・・・。ゴリラたちは熱帯雨林の中で食べ物を探し、子供たちを育て、群れをまとめ、夜になれば寝床を整える。ただそうして生きているだけにもかかわらず、その存在の奥に、本人たちも気づかない真理を隠し持っている。・・・山極さんとの対話は毎回、一見、当たり前のようでいて、しかし普段はすっかり忘れているそうした事実をかみしめる経験でもありました」。
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