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「ベートーヴェンとピアノ」  (上)「傑作の森」への道のり (下)限りなき創造の高みへ   (小山美稚恵×平野昭 音楽之友社:2019)

執筆者の写真: 直樹 冨田
直樹 冨田
10月27日
読了時間: 8分

バレンボイムがシカゴ響を振っていた時、シカゴでピアノのマスタークラスを開講し、売り出し中の若手ピアニスト6人にベートーヴェンのピアノ・ソナタを指導するテレビ番組(NHK BS)を見たのは、恐らくもう20年ぐらい前でしょう(ちなみにその生徒の1人がランランで、演奏曲は「熱情」の第1楽章でした)。受講者6人が皆、すばらしい演奏を披露。これだけのすばらしい演奏に対してバレンボイムは一体どんなコメントをするのかとワクワクしながらテレビを見ていました(このマスタークラスは英語ですが、YouTubeで視聴することができます)。そしてバレンボイムの指摘はすごかった!(「恐ろしかった」と言っても言い過ぎではありません)。生徒たちよりもはるかに深くスコアを読み、ベートーヴェンの意図を表現する技術を教えていました。毎回番組の冒頭、バレンボイムはベートーヴェンの音楽作りのコンセプトを語ります。「混沌、闘争から新しい秩序へ」。それを象徴する彼の指導で1つ覚えているのは、ベートーヴェンの長いクレッシェンドです。記憶があやふやですが、こんな言葉でした。「断崖絶壁が待っている長い坂道を徐々にアクセルを踏み続け、車が崖から落ちる寸前(クレッシェンドの頂点)で最高スピードになることを(ベートーヴェンのクレッシェンドは)要求している。けれど、たいていのピアニストは怖くなって勇気を失い、その少し手前でアクセルを緩めてしまう。だからベートーヴェンの音楽は命がけの挑戦なんだ」。

 『ベートーヴェンとピアノ』を読んで、バレンボイムの上述の言葉をいくども思い出しました。小山実稚恵さんという日本のトップピアニストと評論家で西洋音楽史や音楽美学等を研究している平野昭氏との対談形式で書かれている同書は、べートーヴェンがそれまでの音楽をぶち壊して、新しい音楽を打ち立てようとする挑戦の連続だったことを教えています。対談は全部で35回。ピアノに限らず作品番号1の前から順に取り上げています。上下2冊に分かれていて、かなり読み応えがあり、スコアの一部を見ながらの専門的な分析や音楽用語が頻繁に出てきて私にはわからない箇所が少なくなかったのですが、それでも私が理解できた範囲で、前半「『傑作の森』への道のり」のごくごく一部を紹介します(多少要約したり、そのまま引用したりしました。文責は私にあります)。

〈第1回対談〉から

 1770年生まれのベートーヴェンは弱冠7歳にしてクラヴィーアの公開演奏会を開き、9歳の時にボンに移住してC・ネーフェに師事。そのネーフェに勧められて11歳時に初めて書いた作品が、作品番号のついてない「〈ドレスラーの行進曲〉の主題による9つ変奏曲」。以後、1822年に最後の「ピアノ・ソナタ第32番」を作曲するまでの40年にわたってコンスタントに作曲し続けたジャンルはピアノ・ソナタだけでした。そしてピアノ・ソナタで行ったことに様々な要素を肉付けして交響曲を書きました。最初はネーフェから与えられた主題でしたが、次は「選帝侯ソナタ」でソナタの作曲開始。そしてすぐにソナタ第1~3番(作品番号2)に着手。ソナタはこの時期、貴族の子女たちが弾くことを想定して書かれた、サロン向けの音楽でした。だからモーツアルトやハイドンのソナタに♯や♭が4つ以上つくことはなく、短調のソナタもあまりなかったのですが、ベートーヴェンは「選帝侯ソナタ」をヘ短調(♭4つ)で書きました。これはかなり異常なことでした。ベートーヴェンは12~13歳ころに受けたネーフェのレッスンの中でバッハの『平均律クラヴィーア曲集』を全曲弾いていましたが、そのいくつかを様々な調に移調して弾くことまでしていたと平野さんが言うと、小山さんは思わず「それはすごい!」。ピアノソナタ1~3番は、それまでソナタが3楽章構成だった常識を打ち破り、3曲とも4楽章構成で書かれています。サロンでの演奏ではなくステージで演奏されることを想定した、巨大で複雑な内容を持った作品となりました。

〈第2回対談〉から

 1792年、ベートーヴェンはハイドンに弟子入りを認められ、ウィーンに移住。即興演奏で卓抜な才能を見せ、貴族のサロンで名声を高めていました。さて、「作品番号1」のついたピアノ三重奏曲を出版して作曲家としてのキャリアもスタートしました。このピアノ三重奏曲は3曲ともすべて第3楽章にスケルツォまたはメヌエットを置いて交響曲のような4楽章構成で書かれています。平野さんは「交響曲も弦楽四重奏曲もまだモーツアルトやハイドンに太刀打ちできないと思っていたのかもしれません。もしくは彼らにはない方向でそういったジャンルを書きたいと思い、機が熟すのを待っていたという可能性もある」と語ります。この3つのピアノ三重奏のうち特に第3番がサロン的な音楽だったこれまでのピアノ三重奏とはあまりにも違うので、師匠のハイドンは出版しない方がよいと助言しましたが、それには耳を貸さず出版しました。「ボン時代に何十曲と作曲してきたベートーヴェンが、あえて『作品番号1』をつけて世に出した作品なので、絶対に自信があったはず」。

〈平野先生のOne more point Beethoven 〉から

 ピアノの超絶技巧を持っていたベートーヴェンは演奏会で自分の腕前を披露するためのピアノ音楽、とりわけピアノ協奏曲を必要としていました(オペラや交響曲ではありませんでした)。そしてウィーンの音楽界がモーツァルトのピアノ協奏曲に熱狂していたことをボン時代から知っていたベートーヴェンは、ピアノ演奏技巧の高さや華麗さだけを追求するだけではなく、協奏曲音楽、ピアノ音楽の本質においてモーツァルトとは異なる表現様式を開拓しようとしました。しかし、まずモーツアルトのスタイルを模倣し、かつモーツアルトの影響から逃れるため、少なくとも3回の改訂を経て「ピアノ協奏曲第2番」を完成(モーツアルトの最後のピアノ協奏曲第27番は変ロ長調で、この第2番も変ロ長調)。しかし、くどいようですが、伝統あるいはモーツアルトの影響から逃れたいと思っていたベートーヴェンは、第4番でピアノ独奏により音楽がスタートするというこれまでにないスタイルを試み、第5番ではピアノ独奏によるカデンツァ風の導入部から音楽を開始させます。さらにこの4番と5番では、第2楽章から最後まで連結して協奏曲全体の有機的統一を試みました(ピアノ協奏曲第5番以降、耳が悪くなり、オーケストラと合わせることが難しくなって作曲をやめましたが、ピアノ・ソナタは一人で弾けるので、それ以降も作曲し続けました←第3回対談より)。

〈第8回対談〉から

 ピアノ・ソナタ第10番は「複数の楽器の対話のように書かれています」「第2楽章はオーケストラ的。ソナタの中での初の変奏曲も」と小山さん。このソナタは3楽章までで、その3楽章をスケルツォで終わっていますが、普通スケルツォで終わることは考えられません。また小節全体休止が3回もあり、唐突に違う音形が出てきたり、最後は消えるように終わったり。この後で初めて弦楽四重奏や交響曲を書き始めますが、この10番でピアノ以外の楽器の要素や音形をピアノで実験しているようです。

〈第9回対談〉から

 例えば、ハイドンの同じ調性の交響曲を各楽章をバラバラにしてそれぞれ組み替えて演奏してみてもあまりおかしくはならないけれど、ベートーヴェンの作品はそれができない。すべての楽章に何らかの関係があるからです。すべての楽章を合わせて1つの作品と考えていたのでしょう。

〈第12回対談〉から

 ピアノ・ソナタ12番でソナタなのに第1楽章でソナタ形式を使わず、変奏曲を置くなどしています。第13番でもソナタ形式を使わず、全楽章をつなげて全体がより一層緊密になっています。14番「月光」では終楽章にソナタ形式が置かれ、作品の重心が最後に置かれたことを示しています。各楽章が進むごとにテンポが上がり、クライマックスを最後に置くというのが、この当時のベートーヴェンの実験の一つでした。

〈第15回対談〉から

 ピアノ・ソナタ16番は「ハイリゲンシュタットの遺書」の直前、そして17、18番はその直後に作曲されました。交響曲1番と2番の完成で作曲家として順風満帆だったベートーヴェンに急に難聴という障害が出てきて苦悩し、遺書を書きましたが、平野さんによれば、それは「遺書」というより「これから強く生きて行こう」という決意表明のようなものだと述べています。小山さんは16番が「唐突な転調やテンポのチェンジからレチタティーヴォ風の部分が展開したり・・・確かにこれらの様々な変化が、ベートーヴェンの身に起こっている『障害』の暗示であるとも思えますね」。さらに「18番の第4楽章もインテンポで進行していたものが突然立ち止まるように、唐突とも思えるような休止やフェルマータによる運動停止が出てきて、人生を一度振り返るような意思が透けて見えます。しかも変ホ長調という英雄的な調を使用していて行進曲的な音形が出てきて、『ハイリゲンシュタットの遺書』の『強く生きて行こう』という宣言とのつながりを感じます」と演奏者としての実感を述べています。

 まだまだ紹介したい箇所はたくさんありますが、キリがないのでこのあたりで終わりにします。最後に、弟子のチェルニーがベートーヴェンから聞いたという言葉を紹介します。それは「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた後、ベートーヴェンは「今まで書いてきた作品に満足できないので、全く新しい手法で作品を書いていく」という新たな決意です。実際、この頃から創作の爆発的な時期、ロマン・ロランが言う「傑作の森」の時期に入り、それが約10年間続きます。その間の作品として交響曲5番「運命」、6番「田園」、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ピアノ・ソナタ23番「熱情」、ヴァイオリン・ソナタ「クロイツェル」などがあります。この本の後半「限りなき創造の高みへ」でも、お二人がベートーヴェンの創作の進化(深化)について縦横無尽に語っています。写真も資料も豊富ですが、本自体は決して厚くありません。ご興味ある方は是非お読みください。

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