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「神父と頭蓋骨」(アミール・D・アクゼル著 林大 訳:早川書房 2010年)

  • 執筆者の写真: 直樹 冨田
    直樹 冨田
  • 13 時間前
  • 読了時間: 5分

更新日:3 時間前

「エントロピー(増大)の法則」をご存じでしょうか?「聞いたことがあるけど・・・なんだったっけ?」という方もいるでしょう。いろいろな説明・言い方があるようですが、私流に一言で説明すると、時間の経過とともに世の中のありとあらゆるものが「無秩序を増す」「乱雑さを増す」方向に流れるという法則のことです。でも、これだけでは何のことだかわからない!ですよね。生物学者の福岡伸一氏の説明を少し端折って引用してみます。「整理整頓した机が(時間の経過とともに)散らかっていく、巨大な建築物が風化していく。つまり、すべて形あるもの・秩序だった仕組みが無くなっていく/壊れていく。それはエントロピーの法則に従っているからだ。生命も例外ではなく、人間も他の生命体も体内の秩序だった細胞組織を必死で維持しようとするが、時間の経過とともに老化して死を迎える。生命も物質もこの宇宙の大原則に打ち勝つことはできない」(宇宙そのものも何十億年か、もっと先かわかりませんか、いつか消滅すると言われています)。

しかし、この宇宙の大原則に1つだけ例外がありました。それは、神父であり古生物学者でもあるテイヤール・ド・シャルダン(1881―1955年)が主張した「生物の進化」です。以下はこの本を読んだ上での私の理解です。

 ヒトの祖先の探求は19世紀にヨーロッパで始まったそうです。ヒト科の動物化石を調べ、サル→猿人(アウストラロピテクス)→約250万年前にホモ属(ヒト科)が出現→70万年前のジャワ原人→30年前のネアンデルタール人→3万年前のクロマニョン人の骨の発見が続き、サルと人間をつなぐ鎖が徐々に埋まっていきました。しかし、ジャワ原人とネアンデルタール人の骨の形の隔たりが大きく、サルが人間に徐々に進化したと説くにはまだ無理がありました。この間のことを「ミッシング・リンク」と言います。直訳すれば「失われた中間」。進化の過程で「まだみつかっていない中間種」とでも訳しましょうか。

 さて、シャルダンが属するイエズス会をはじめとするカトリック教会では、聖書の創世記に書かれている通り、現存する生物はすべてこの世界が創造されたときに創造されたのであり、変化しない。つまり、絶滅したり進化したりする動的な余地はない。アダムとイヴ、人間の原罪、エデンの園、蛇の誘惑と堕落の物語も議論の余地のないものと考えていました。18世紀末に地面を掘る地質学を通じて、堆積岩の層は時系列を表しており、下の方が古い層、上の方が新しい層で、深い層に行くほど原始的な化石生物が発見され、時がたつにつれて生物の複雑さを増すことが明らかにされました。しかしダーウィンの本『種の起源』が世に出た1859年ですら、進化は大方の人にはバカげた考えのように思われていました。その当時の人々は、サルが人間の親戚だなんて、そんなバカなはずはない!と感じていたのです。

 フランス・イエズス会の神学校を優秀な成績で卒業したシャルダンは1911年、司祭の叙階を受けました。しかし一方で、子どもの頃から科学に興味を持っていた彼は第一次世界大戦後(同戦争では看護兵士として死を顧みず勇敢な働きをしたとして、国からレジオ・ドヌール勲章を受けましたが、戦争で見た残虐な行為が戦後の彼の行動を一層駆り立てました)自然史博物館やソルボンヌ大学で植物学や動物学、古生物学の講座を受けたり地質を調査する方法を学んだりしてヒトの起源を探り続け、宇宙にある物質がどのようにして生きた有機体に変容し、進化への経路をたどるかについて論文を書き続け、いつしかパリを中心にヨーロッパで科学者としてその名を知られるようになり、著述や講演に引っ張りだこになりました。シャルダンにとって、聖書の物語の多くが比喩であり、地球の本当の歴史は岩や鉱物や化石に書かれているのでした(人間はいきなりアダムとイブとして現れたのではなく、進化を通じてゆっくり現れたのだーー)。しかし、こうした間も神父の職から離れませんでした。科学を掘り下げれば掘り下げるほど確かに神がいる、神は進化を通して働きかけ単純な生物から人へ、さらに人類を前へ前へ(神の高みへ)と進めるのだと感じていたからでした(そこが「エントロピーの法則」とは逆)。

 しかし、教会への服従(神父という職への服従ではなく)と科学者としての自らの学問への誠実さとの間で葛藤を抱えることになります。イエズス会やバチカンは、よりによって神父でありながら聖書の記述を否定し、キリスト教への信仰を揺るがし、ついには教会の地位を掘り崩してしまうかもしれないシャルダンの行動に目を光らせ、講演や著作活動を禁じるなどの圧力をかけ続け、ついには彼を流刑の地、中国(の教会)に追放しました(司祭の位を取り上げることはできないのだそうです)。シャルダンがヨーロッパにいなければ、彼の見解が広まるのを防げると期待したのです。しかし教会を現代の科学と和解させることが自分の使命だと感じていたシャルダンは中国でも研究や調査活動を続け、上述したミッシング・リンクの種、つまり50万年前の北京原人(の頭蓋骨)を調査する専門家のグループに加わり、進化論が正しいことを証明する発見をしてしまいました。イエズス会やバチカンにとっては、なんという皮肉でしょうか。

 著者は米国の大学で科学史などを教えるかたわら、科学者などの伝記などを書いていて、多数の著書を数えるそうです。タイトルからして専門的で小難しい内容ではないかと思われがちですが、決してそんなことはなく、中国で出会った彫刻家ルーシーとの恋の(神父ゆえの)葛藤(sexとは何か?)が破局に終わる場面も含め、テイヤール・ド・シャルダンの並々ならぬ行動力、科学と信仰の融合に苦しむ激動の生涯を約290ページの本にまとめていて、集中力を切らさずに最後まですらすらと読みました。本に掲載されたシャルダンの知的で柔和な顔に、ついつい心が惹き込まれてしまいました。

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